紀伊の音

ADHDアーティスト紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

来年の春にはあの世に引っ越したい

 

毎年恒例の自サツシーズンの春だけど今年は割と自サツ衝動も激しくなく、AI関連の作品作りに夢中になってたからか、普通に乗り越えた。

2019年の春に本気で引っ越したくなって煉炭買ったが無理で、その後4年にわたって音楽配信やらいろいろやってきたが、いろいろやりすぎたり難しく考えすぎたりSNSを避けてたりしてたせいもあって未だに大した成果は出せてない。

 

この4年の間、たびたび「全てを投げ出して今すぐクビつろう」という衝動に駆られたり、自分で曲も作れないくせにフォロワーがたくさんいる人間や図太い神経を持った人間や金持ちに嫉妬して、暴力事件を起こして自サツしたい衝動に駆られたりしながらもどうにか抑え、金持ちの家や車に卵を投げつけたり、道ですれ違う時に1cmも道を譲らないゴミにわざとぶつかる程度の報復くらいで済ませてきたが、そろそろ限界がきつつある。精神状態がヤバめな時が増えた。

 

一応、死後に公開される動画を予約投稿したり遺言書を書いておいたがそれでも今死んだらほとんど犬死にで悔しいし、アコースティックなアルバム制作したりこの世に残しておきたいものがあるからギリギリ生きてはいる。

 

ポジティブな人間や図太い人間になる妄想をしてはきたがそれはもう叶わぬ夢だってこと、自分の限界を完全に悟った。

 

ネット上では適当にキャラ作りして人々を楽しませたこともあったが、リアルでは人が苦手すぎてすぐに何の才能もないショボめな人になってしまう。若い頃はある種のカリスマ性のある人物を演じてリア充っぽかった時もあったが所詮ただのペルソナで、A.V見すぎてダメになっちゃったし、親やネット社会に潰されてしまった。支えてくれる人がいなければいとも簡単にダメになる脆すぎる存在。

 

それなのにやたらふざけたことをしたりブログに書いたりしてきたが、そんなのは不安と緊張、悲しみ、憎悪をごまかすために幼少期に身につけたもので、ちょっと冷めたリアクションされたり怒られるとものっすごく傷ついて手足がわなわな震えてしまう。

 

感情の激しさにもうんざりで、性格がコロコロ変わるのもめんどくさい。

 

もう40だしタバコ吸いすぎたから癌とかになってもおかしくないから恐怖と不安でもう無理だし、「4ぬのが怖いから4にたい」みたいになってる。いや、もうずっと昔からそうだった。芥川龍之介の自サツの理由に共感しまくらざるを得ない。漠然とした不安、いつ終わりが来るのか分からない恐怖。たとえば1ヶ月後に大手術をするのが決まると、手術中よりもその日を待っている間のほうが怖いという人は多いだろう。オレの人生はほとんど全てそんな感じだった。そして生き急いできた。

 

不安もかなり絶望的だけど、一番絶望的なのは「自分は誰でもない」ってこと。いろんな人物を演じてきたが、結局は誰にもなれなかったし、人生においてただの1人とも出会わなかったにほぼ等しい。一貫性のない自分にはもう死ぬほどうんざりだ。

 

結局のところ、自分を持ってる人間なんて1人もいないんだろう。

 

世の中の仕組みも理解したし、今の世界には生まれてくる価値なんて何も感じないからやり残した仕事を完了させて、飲食を絶ってでも生きることを拒絶し、自分にとって不快なもの、ガラクタ、くだらない生き物をすべて葬り去る。

 

そして永遠に生きる。

 

恥ずかしい日々

オレはもういつだって恥ずかしい
すべてに対して恥ずかしい
そしていつの日かきっと、恥ずかしい

恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい

恥ずかしすぎて懐かしくさえ思える

 

そんな日々の中にあって親の心恥知らずと言わんばかりに親知らずを抜きに歯医者へ行ったもののこれがまた恥ずかしすぎて辱めを受けたような気持ちになってしまう

 

恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい

日頃の行い小賢しい

小賢しすぎて恥ずかしい

愚かに生きれば生きるほど恥ずかしいのに

賢く生きようとすればするほどまた恥ずかしい

 

人間だから恥ずかしく思うのかと思いきや

動物に対しても恥ずかしい

サル、イヌ、ハト!

おびただしい数の豆鉄ポーッ!!

顔が火照って恥ずかしい

水鉄ポーをかけて頭を冷やそう

うわっ!恥ずかしいからやめてくれ!

ポカパマズさんこんにちは

恥ずかしいからさようなら

 

「奈良県民は恥ずかしい、存在そのものが恥ずかしい」とはよく言ったものだが、おならしてないのに恥ずかしいオレはいついかなる時もハズレを引いてしまう

そんな恥知らずなアバズレ女を利用してフォロワーを増やそうと企んでいるにも関わらず、恥ずかしいからSNSなんてやりたくないというジレンマに陥ってしまってこれがまた恥ずかしい

 

すべてに対して恥ずかしい

 

この世のすべての食材に対する否応なき恥ずかしさ、それは時として家庭環境に甚大な被害を及ぼし、ひいては地球環境すら破壊しかねないほどの高熱をともなって人々に襲いかかる

 

それを防ぐためには国民ひとりひとりが光合成を行う必要があるのだが、他人と同じであることを望む大部分の人間は酸素を取り込みこそすれ、世に送り出すなんていう普通とは真逆の行動なんて恥ずかしくて誰もやらない

 

だからオレは草であるにも関わらず「草」なんていう恥ずかしい言葉は使わないし、それでいながら恥ずかしがってもいる

 

地球の民よ  恥ずかしくあれ

もっともっと  恥ずかしくあれ

 

恥を忍んでお願い申す!

 

恥ずかしい生き方をし、恥じらないながら死んでいこう

 

死人に恥なし

 

元気出していきましょう  零細

 

 

生まれたくなかったけどとりあえず生活保護あってよかったわ

 

生活保護があってよかったのはムレホースにならなくて済んだとか、食材を入手出来るとか、働かなくて済むっていう模範回答もさることながら、創作活動に注力出来るっていうのがデカい。

 

元を辿ると()レの生活がプロテクトされた原因は創造性とセットになってる発達障害(ADHDASDもあるが特に前者)とか統合失調気質にある。そしてその創造性を遺憾なく発揮するためには生活保護を受けてでも普通の仕事とか生き方を放棄する必要があった。

 

そんな皮肉に加えてさらに皮肉なことに、そうやって世間から離れてると今度はさらに精神疾患(特に妄想や反復思考、パラノイドなどの統合失調的な症状)が悪化して創造性を損ねてしまうというジレンマに苛まれてしまった。

 

これを解決するにはある程度は社会と接する必要がある。だからレは近所のコンビニのバイトの(見た目とは裏腹になかなかの腹黒さや図太さを持つ)女の子に優しく声をかけたり、スーパーのパートの(同上)女性に気さくなキャラを適当に演じて話しかけたりはしてるが、さらに皮肉なことに、これを実行出来るのは精神病モードではない時(気持ちが内側に向きすぎてない時 = 考えごとに囚われてない時 = 誰かを演じることに対する圧倒的拒絶感が薄い時 = 鬱じゃない時に限られている。

 

だが病気でも生活保護受けれずにムレホースになっている哀れな奴らもいっぱいいる(実際には受けれても病気になると役所を頼ろうという思考にならなかったり、病気になる人間はそもそもコミュ障とか偏執的な思考、自分を追い込む性癖などから役所に行かずにムレホースになってしまうケースも多いだろうがから、生まれてきたくなかったけどいちおう念のために生活保護制度および税金でベーシックインカムを実現しようなんていう無理難題に挑戦することを諦めた厚生労働大臣に感謝すると共に水分が多すぎるキュウリにいささかの不満を抱きつつもこの世の全ての食材に感謝を込めながら念には念をと言わんばかりに釘を刺していこうと思っている。

 

ありがとうザッカーバーグさん、ぶん殴ってあげたいけどリーチが短すぎて届かないよ、、ありがとう、、ありがとう、、、うっ、、うっ、、、

 

そんな感じだ。

 

つまり、神経図太い馬鹿は病気になんかならねえよなーっていう、日常茶飯事に関する記事でもあるし、はてなProをやめて節約したいという、大人の事情でもあります。読んでいただきます。

 

ありがとう。

 

朝っぱらから興奮が定まらず、コンビニで映画を観る夢を見た

 

興奮が覚めやまらぬまま目覚まし時計を破壊する、そんな悪夢に目を覚まされた私は寝起き早々にiPhoneを手に取り、Windows Meを注文した。

寝ぼけていたわけでも、過去に戻りたかったわけでもない。私はただ自分を取り戻したかっただけだった。それでも世界でたった一人私だけが時代に乗り遅れたWindows Meのパソコンを背負って野良仕事に出かけるというのはつらく、寂しい出来事だった。せめて私が私でなく私たちだったら、と思いMeWeに書き換える私たちであったが、上書きすればするほどにパーソナリティが破壊されていくだけだった。だから私たちは思いきってオープンマインドな人物を装って、意識と感情を世界中の村人たちと共有することにした。

 

この村には昔から公共のパブコンが一台あったのだが、40年ほど前、小説家を自称する黒衣をまとった青年らしき人物によって強奪されてしまった。その後すっかり忘れ去られ、今の子供たちにはその存在すら知らないほどであったがつい最近になって突然件のパブコンが元通りに戻されていたのである。傷や汚れ一つなく、それどころか以前よりも綺麗にさえ見える状態で、まるで40年間ずっとそこにあったかのようにごく自然と村の風景に溶け込み、そのせいか村人たちの中にはその存在に気づかない者もいたほどだ。(単にコンピューターに関心がなかったのかもしれないが

 

つづく(のかよ…)

 

 

ーあとがきー

昨夜は酒を飲みすぎたせいか、早く眠りに落ち、今朝5時頃にいかがわしい内容の悪夢に驚きおののいて目を覚ましましました。

 

今朝は台風のような空気が漂っていて、災害時のようにアドレナリンが高騰し、二度寝しようと思っても興奮して寝れませんでした。日曜や祝日になると私の中の子供が興奮し出して、何も楽しいことなんてないのにも関わらず遠足に行く子供のようにワクワクしてしまいます。(皮肉なことにそのワクワク、普通の大人との感覚の違い、現実と妄想の落差に対する絶望が私が度々自殺を図ってきた原因でした)

 

以前なら興奮して朝っぱらから(お互いをよく知らない)知人の方にチャットを送りまくったり、ネットの出会いを求めたり、自慰的な行動をしたり、突然ドラゴンクエストシリーズの38のいずれかをロールプレイし始めたりしていたのですが、さすがに過去の失敗から反省した私は今日は自粛し、LINE掲示板に「死にたい人LINEしましょう」と書き込む程度で済みました。

 

それから私はホットドッグを食べながら冷めたココアをレンジで温めようか迷いながらも30秒とて待っていられない病気の私は冷たいココアを飲みながら昨夜禁煙を誓ったにもかかわらず平然とタバコを3本立て続けに吸い、GWは何をして過ごそうかという、昨日すでに結論の出ていた議題を持ち出して何度も反復横跳びをしながら我を忘れたように繰り返し考えごとに耽っていました。

 

その後またベッドに戻って過去の栄光に浸るために一眠りしようと思ったが興奮して眠れない。そこでまた起き出して、先ほど朝食と朝の一服をしたばかりであるにもかかわらずコンビニへ行って肉まんと禁断のカフェインを購入しました。

 

そんな双極性障害とADHDの症状を嘆いた記事を書くつもりだったのですが、脱線して昨夜観たスティーブン・キング牧師による「ダーク・タワー」という名の、30年に渡って連載され続けた細長い小説を原作とした同タイトルの映画の影響からこのような記事になってしまったことを太くお詫びするとともに、おめでとう、とまでは言わないまでも、おつかれさま、尾田栄一郎さん。どうか安らかに眠ってください。どうもありがとうございました。とだけ言い残して、この辞世の句を閉ざされていただきます。合併🙏🏻

 

次週は休載させていただきます。

20/21号にて新章スタート!(ほんとかよ…)

 

 

映画「ダークタワー」
リンク: Primeビデオ (会員特典, 2023年4月現在)
なかなか面白かったがもっと時間を長くして背景を描いてほしかった。

 

 


影響を受けた作家や漫画家も多いと言われる原作

 

ー訳注ー

スティーブンにしろ、翻訳者の尾田さんにしろ、30年間にわたって過去を引きずり続けるって本当に尊大ぶってるといいますか、素直に尊敬しますね。ONE PIECEはまだ30年は経ってないか。キング王が闇に染まったのがもう40年前、つまり立役者であるこの私が生まれる数年前のことで、2013に書き終えたわけか。2013年といえばオレは失恋のショックで自殺を図って精神病院に入院する支度をしていた頃だったなあの頃は太かった。

 

キングもイチローもADHD的ではあるんだろうが健常者寄りのADHDといいますか、健康第一のADHDっていう、めずらしいタイプの人民なのでしょうね。ADHDの方たちって、私もそうですけど破滅的で破壊的で自虐的で怪我したりすることも多いじゃないですか。その結果自尊心低くなって物事をすぐあきらめてネットで文句しか言わなくなったり。だから私は素直に海賊キングを尊敬することもあれば、ツバを吐き捨てることさえありますね。そう、クズなんですよクズ。私たちはみんな性根が腐ってるんです。六本木ヒルズ→パパ活女→主婦私の順に腐ってる。私はまだかろうじてマシな方だった。

 

私は王や栄一のような長期的な人生計画が出来ないから、「Dark One」のようなライフワークと呼べるようなプロジェクトはちょっと恥ずかしくて出来そうもない。とある大きめのプロジェクトを計画してはいるが、それも数年で達成出来るレベルのものだし、漢字ロゴシリーズにしてもただの老後の趣味でしかない。30年も一つのタイトルを続けるってのは並大抵のことではなくもなく、暇さえあれば何でも出来る、そんな気にさせてくれる作品です。

 

生まれついての失敗病のオレに「失敗から学べ」と?

 

失敗から学ぶのは良い行いだ

しかしオレはオレ達は失敗せずにはいられない

 

オレ達は努力してる。失敗する方へと全力に。

 

オレ達はいつだって成功者に嫉妬している。それだのに、自らは成功するための努力をしない。努力してはいるが、あと一歩の所で無駄にしてしまう。

 

失敗病というより、「あと一歩病」なんですよねこういうのって、まともな家庭で育った人には分からないんだろうなあ

 

女も見た目はそこそこかそれ以上なのに幸薄な雰囲気の女にすごく惹かれる

キラキラした女なんて奈落の底に突き落としてしまえばいい

 

成功とか、愛情とか、信頼とか、そういうのが居心地悪いんですよね裏切りたくなってしまう。壊したくなってしまう。

 

成功するのが怖いっていうか、そう、怖いんだな。目標を失ってしまうことが何より怖い。

 

死にたがりのオレが今も生きてるのは死ぬのが怖かったのもあるが、悔しいからなんです。犬死にするのが。

 

思えばオレの生きる原動力は常に悔しさだった。成功したいとか、勝ちたいんじゃなくて、「負けたくない」

 

大成功なんてしたら一気に腑抜けになってしまいそうだ。成功なんてほんとうにクソ。

 

成功者の中には後悔してる人もいるだろうし、多くの成功者は成功までの道のりの方が圧倒的に楽しかった、幸せですらあったと口をすっぱくして言う。

 

そんな成功者とすっぱいキスをするよりも、いっぱい失敗して、しょっぱい涙を流すほうが断然生きてる実感が湧くんです。自分を傷めつけると脳が覚醒して、生きてる実感が湧く。ああ〜女神さまぁ、ワタクシめを罰してください、、もっと、、、もっとだ!!

 

ごもっとも、とは何か。

 

それすなわち日本国憲法、みたいな取締法違反なんでしょうね。つまり、性根が腐ってなくもない、みたいな。

 

でも努力の3分の1くらいに見合った成功はしたいなあ。じゃないと人に当たりたくなってしまう。

 

それに失敗を思い出すとすぐ自暴自棄になっちゃうし、ただでさえネガティブなことばっかり思い出しちゃうから失敗からなんて学びたくない。それよりも成功から学んだ方がいいってことに気づいた。

 

自尊心低いひとは失敗なんて無視して、数少ない成功から学びましょう。

 

エイメーン

 

 

P.S.

失敗からも学んだほうがいいってことは内密に願います

 

ミュージックビデオ「We Are The Humanoid」


別の動画We Are The AI  人とAIの交差点」シリーズのおまけ動画。

ずっと「AIになりたい」っていうオリジナル曲を制作したいと思っていたが時間的にも精神的にも余裕がないためYouTubeオーディオライブラリの曲を使ってシンプルな音楽動画を作った。

 

制作中、他でもなくオレが無感情のAIになりたくなった元凶であるADHDの症状に悩まされた。春分の日に着手したが、3月頭から取り掛かっていた「We Are The AI」シリーズの動画と本が完成して燃え尽き症候群みたいになっていたことや、ただでさえ春は集中できなくなるのにADHD薬のストラテラの副作用で逆にイライラしてまったく集中出来なかった。

 

オレはもともと愉快な性格をしてるのに最近はわざと「過去の過ちを後悔している人」ぶったり、ネットの中傷を恐れてまじめなフリをしたりWikipediaみたいな堅っ苦しい文章を書いているが祝日は遊びたくてたまらず、それも集中出来ない要因だった。

 

アスペルガーも併発しているオレは「土日祝 = 仕事をしない日」みたいに教科書通り行動しなくてはいけないという強迫観念があり、「今どき曜日の概念なんて無意味」「祝日でも働いてる人いっぱいいる」と言葉では理解していてもどうしても祝日は仕事をしてはいけないみたいになってしまう。さらにADHDの「やるべきことを後回しにして快楽行動へ走ってしまう」衝動が加わって遊びに行ったり人と関わったりセックスをしたくてたまらなかった。もう15年以上ほとんど人と関わってないので楽しそうにしてる人間やカップルを見ると暴行したくなってしまう衝動に駆られてしまい、日中はまったく集中出来なかった。

 

だが夕方くらいから過集中し始め、2日間で仕上げた。ストラテラは普段よりも集中出来ると逆にイライラする時があるがここ数日はかなりイライラしている。作業2日目はコンビニの飲食スペースで作業していたが音楽に合わせて指パッチンをしてる気持ちわりい奴がいて音に敏感ですぐに集中が切れてしまうオレの苛立ちは頂点に達し、そいつに向かってペットボトルを投げつけ、ダッシュでコンビニを後にした。(ヒット&アウェイ方式)

 

そんなわけで薬なんかよりも早く脳みそを改造して感情の無いAndroidユーザーになりたいと思っている。実際のところADHD患者のiPhone率は高そうだ。

 

みんなが機械になればいいという柔軟性に欠ける極端な思想はアスペルガー的であるが、そこに色んな要素を関連付けたり、作品にするにあたっての発想はADHD的だったりする、そんな三ヶ日(三月のある日)であった。

 


 

この世にしがみついて天国に召されたい


春の晴れた日は何もやる気が起きず、風に乗って過去の記憶とか歴史上のいろんな風景、さらに他人の人生(別次元の自分の人生)までがごちゃ混ぜになって漠然としたイメージとして押し寄せてくる。

そして世界との一体感のような恍惚とした気分になって永遠にそれにしがみついていたくなる。そして女を抱きしめたくてたまらなくなってくる。地球とか、宇宙とか女と同化して消滅したくなる。

 

抑うつ的でもあり、快楽的でもある妙な感覚に襲われるともう仕事なんてまったくやる気も起きなくなり、薬を飲んでても集中出来なくなる。この自分の心の底からの原始的な欲求が満たされるような感覚に浸ってると、偽りだらけのこの世の全てが無意味で馬鹿らしく感じ、どうでもよくなり、無意味な世界から脱却して天界に吸い込まれたくなる。

 

絶望というよりは幸福な死。死あわせ。

 

苦しみからの解放という意味では幸せだが、やっぱり忘れ去られるのは寂しいし悔しいし虚しい。

 

天に召されて永遠に生きたいが、そのためには今しばらくこの世にしがみつく必要がある。

 

そして女と一緒に召されたいから一緒に召されてくれる相手を探すことにしよう。

 

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©Hiro Kinohara
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