死後の世間へようこそ。最近流行っている「てみた」などの死語を使わないように気を配っているスティーブンです。(言葉は流行った瞬間死語になる)
今日は昔一度だけ見たシックスセンス(第六感)を見る羽目になった。つまりは二度見したことになったわけだが、あのクライマックスなら二度見してしまうのも無理もないよなあ、という感想を抱きながら今日という日を迎えることになった。一度目は友達と喋りながら観てたから内容は覚えてなかったため、実質初めて観たことになる。もう20年近く友達なんて一人も居ない私にも友達というものがいた時代があった。
私はこの映画の主人のように無駄に研ぎ澄まされた第六感に苦悩してきたため感情も感覚も無いロボットになりたいと思い、AIになりたいという内容の動画を公開したりしてAIがマイブームになっていた。その一環として、この映画の主演であるハーレイ・オスメント少年が同じく主演を務めた映画「A.I」(2001)を観て、その流れでこのシックスセンスを観た。
当館でこのシックスセンスなる映画が上映されていた1999年当時、私はまだ18歳でプロサッカー選手を目指すフリをしながら心の底ではミュージシャンを目指すという、フェイントの達人であった。若々しく夢もあったが、スポーツマンシップはすでに放棄していた。
そんな私も今となっては毛むくじゃらな中年男子になってしまい、当映画の主演の少年も今ではサンタクロースのようにもじゃもじゃしながらすっかりレトロになったビデオテープを子供たちに配布して回っている。劇中においても彼がビデオテープをプレゼントする様子が描かれている。
最近の「未来のお爺ちゃんお婆ちゃん」たちはこの映画を知ってる人は居ないか、居たとしてもかなり痩せ細って今にも死にそうな感じなのだろう。そんな若頭たちにはぜひ「死んだ後に観たい映画」としてこの映画をお勧めいたします。と言いたいところだが、ああ…もう観てしまったのか…じゃあいいや。。
気を取り直して、、突然ですが!
…という煽り文句も20世紀末にはすでに死語になっていたのだが、2022世紀になった今でもそんな文句を使っている人間がいるのを見て私は驚きを隠してしまった。彼らはもう人間ですらなく、古い時代の亡霊なのかもしれない。
そんなゴーストたちと隠れんぼをする日々に明け暮れていた私も、映画の最終シーンでは驚きを隠せなかった。「そうきたか!」という気持ちではあったが、実際に口から出たのは「おっとっとっとっとぉ」という単語であった。これから初めてこの映画を観る人にも是非クライマックスでおっとっと、と嘆いてもらいたい所存であります。
この映画を観ていてずっと少年の主治医がブルース・ウィリスに似てるなって思っていたが、本当にブルースだった。最初はケビン・コスナーっぽいなとも思っていた。ケビンとブルース自体似てるし、ああいう典型的な野球好きアメリカ人系のハンサム顔(イケメンっていう言葉も今となってはダサすぎる死語だ)はみんな似てるから見分けがつかない。
この映画はスピルバーグ作品にしては極めて異質だが、それもそのはず、スピルバーグが監督をしたのはA.Iであってシックセンスではないのだから。どうりでスピルバーグと違ってセンスのある作品なわけだ。私はスピルブルグについては最高の「ナンセンス映画」監督だと思っている。(実際には作品をほとんど観たことがない)
この世の全ての映画監督は馬鹿だ。それはなぜか。本当にセンスがあって賢い者はそもそも「人間」という、センスのかけらもない生き物として生きることを拒絶するからである。だからそう、あなたの周りにセンスがある人間がいるとしたらそれはきっとゴーストに違いない。 そしてあなたを取り巻く人間味のないゴーストたちこそが実のところ誰よりも人間という生き物を体現しているのかもしれない。それを理解できるセンスを持ったあなたはきっと…