天国というのは結局のところ自分の存在を感じられるような何かとの一体感なんだろう。
宇宙、地球、人、女、音楽との一体感。
酒や買い物、オナ二一、自分を知らない相手とのセックスなども快楽ではあるが天国ではない。心の底は虚無感と嘘だらけの地獄だったりする。酒は酒でも、飲むことで本当の自分や本当の気持ちを曝け出せれば天国ではある。
自分と向き合わずに自分を見失って単に一方的に一体感を得ようとしても一時的な快楽に過ぎず、結局は地獄に堕ちてしまう。
突き詰めると自分自身であること、自分らしくあること、正直であることが天国の正体なんだろう。
自分自身が天国なら地球や人との一体感なんて必要なさそうだが、「自分」というのは対象があって成り立つもの。だから逆説的に言えば「自分らしくある」というのはすでに何らかの対象との一体感を得ている状態であると言える。偽りのない自分であることが対象との一体感を呼び、対象との一体感が自分らしさを増強させる。
例えば、やましい気持ちでいる時に美しくて感動的な音楽を聴いても罪悪感や裏切り感があって一体感は生まれず、心の底からの後悔や感謝の状態で聴くと一体感が生まれる。そして自分の存在を感じ、自分らしさが形成される。前者の場合も「裏切り者」という自分らしさのようなものが形成されるが、後付け設定の自分であって、意識下では常に「本当はこんな自分になりたくなかった」「本来の自分ではない」という感覚がつきまとう。
自分自身でいるというのは一見簡単そうだがこの世に生きていると実際のところかなり難しい。嘘をついたり見栄を張ったり世間体を気にしたり言いたいことを言う勇気がなかったり過ちを認めなかったり目先の快楽という疑似天国の誘惑に負けたりしてしまう。そうやってオレたちはすれ違いながら天国と地獄を行き交う。
そう考えると「死んで天国行きか地獄行きか」ではなく、この世こそが天国と地獄そのものなんだろう。死んだ後は物理的には完全な無だ。
苦しみからの解放という意味では「死んで天国に行く」とも言えるが、苦しみ(地獄)はもちろんのこと、「これでやっと解放されるんだ」という気持ち(天国)も生きている時に感じるもの。
そして後悔や嘘、償ってない過ち、裏切り、誰にも言えない秘密が多いほど「解放(天国)」よりも「死んでも誰も悲しまない」とか「忘れ去られるだけ」という地獄を感じる割合が多くなる。
だから「どうせ死んだら全てから解放されるんだから生きてるうちは何をやってもいい」ってことにはならない。死ぬ直前も含めて生きている内に地獄を感じることになる。
事故などの突発的な死の場合は死ぬ直前に天国や地獄を感じることは無いが、生きている間にすでに天国も地獄も味わっている。
良い事をしたから死んだ後で天国に行くんじゃなくて、良い事をした瞬間こそが天国だ。
良い行いを重ねると死ぬ直前に「正しく生きたから天国に行ける」という感情になれるがそれも実際にはそう感じている瞬間こそが天国で、死んだあとは無だ。
無になるとはいえそれは物理的な話で、人の心の中で生き続けたり、仕事の成果や作品が生き続けたりすることもある。そして「死んでも忘れ去られることはない」という感情(天国)を生きている内に感じることになる。
愛や信頼という自分の原始的な欲求を裏切り続けて悪事を重ねると自分が自分でなくなっていく。悪人が悪人らしいことをすれば自分らしく生きてるようにも見えるが、それは後付け設定の自分らしさで、本来の自分ではない。だが自分を欺き続けてるとそれが真実のようになってしまう。それでも結局は本来の自分を感じるという天国や、自分を感じさせてくれる対象との一体感という天国に行くことはできない。
こんな世の中ではあるが、なるべく自分と向き合って自分に正直に良い行いをして天国に召されていこう。