0っぱいに顔をうずめると、厳格な管理職でさえ顔がほころび、ニヤけてしまう。
自然体な笑顔になることで、身体の緊張がほどけ、抗鬱効果がある。
一番良好な0っぱいというのは30歳前後のシングルマザーのそれであり、微妙な垂れ具合を醸し出しながらも依然としてハリがある、そういう0っぱいだ。
だが私が最も重視し、かねてから希求してやまなかったのはその形ではなく、精神的なものであった。
そこには母性もさることながら、人生の後悔と反省からくる同情、ひと通りの人生経験を積んだことによる哀愁、落ち着き、、ニットに包まれたそれは秋の香りがほんのりと漂い、甘い眠気を誘う。
一つの特筆すべき点として、そこには過去だけではなく、未来や、希望というべき輝きも垣間見える、という特徴が挙げられる。
確かに、バツの悪さや過去への執着といったものはある。しかし彼女らはまだ若い。未来がある。
処女に戻ったかのような不安をいだきながらも、再婚への希望に満ちた輝きがある。その輝きはまさに、荒波の夜の闇をぼんやりと、それでいて母のように力強く照らし、社会の荒波に飲み込まれまいと必死に小船にしがみつく私たちを母なる新天地へと導いてくれる、自由の女神さながらである。
一方で「未婚」の、若くてハリのある、少し硬めとも言える0っぱいはどうだろうか。
そこにあるのは希望の光、しかし眩しすぎて焦点の定まらない光である。そして寄せられる父性への期待。清潔感、余裕、包容力、常識。
まばゆいばかりの期待の光にいささか面食らった私はサングラスをかけ、プロフィールを盛り、椅子に腰掛ける。こちらから話題を提供し、若くて勢いのある話に耳を傾ける。
そうやって、限られた放送時間やポイント残量に注意を払いながら小気味よく会話を展開している間、私の、母なるものを求める部分は眠ったままである。時には私だって話を聞いてほしいし、包んでほしいものだ。
最後に、もう若くはなく、勢いも希望もほとんど失った50代以上のシングルマザー。中には未亡人になられた方や、お金は十分稼いだそれでも心はぽっかりと穴が空いて満たされない、といった方も多いと存じます。
普通の人間であればまず、ざんねーん!と言うでしょう。
しかしここで少し視点と話題を移し、吸いも甘いも体験しつくした熟年らしく、現実的な、きわめて現実的な視点をお互いに持とうではありませんか。そして落ち着き払い、腰を落とし、誠実、切実に対応しようではありませんか。そのような態度を取ることであなたには資産、遺産、相続、といった輝かしい未来が待ち受けているのですから、、、
結果として私は30〜35前後のシングルマザーの0っぱいに強く惹かれるようになった。その魅力を一言で表すとすれば、ハングル、と表現せざるを得ない。日本語で表現することは難しい。ひらがな、カタカナ、漢字、和製英語、どれを使ったらいいのか分からない。だからそう、ハングル。いつになってもシングル。そういうことなんだろう。