紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

性欲に悩まされ続けた40年だった④

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本当は女が大好きで、学生時代は女の子ともよく絡んだり遊んだりしていたが、その学生時代にしてもいざ女の子と二人きりになるとナイナイの岡村みたいに変に真面目ぶっちゃったりしてつまらなくなってしまう病気で、女に男性的な理性脳を押し付けようとするような、プライドの高い男によくあるような心理が発動してしまっていたし、明るく振る舞う裏では会食恐怖症やパニック障害、大人になることへの拒絶感などのコンプレックスを隠していた為、女の子に限らず誰とも深い関係、結婚や子供を持つ、正社員など責任力の問われる立場から逃げだしたくなるという一種の病気があり、関係が深まりそうになるとバックれていた為、彼女が出来なかった。

 

24歳で引きこもりになって以降はそもそもステータス的にも自信がなく、彼女が出来なかったし、前述の通り風俗に行く金も勇気もなく、童貞を長引かせてしまった。

 

童貞や引きこもりが長引くことで、本当は女が大好きなくせに硬派な女嫌いみたいな気持ち悪い人間になっていき、2ちゃんの男性論女性論版で女叩きをしていて非常にキモかった。

 

引きこもりになったことによって精神が退行し、それまで築いてきたものが崩壊し、秋葉系のキモオタみたいな新たな人格が形成されていき、ただでさえ自己像が不安定な境界性パーソナリティ障害の状態になっていたオレの自己同一性はさらにぐちゃぐちゃになり、矛盾だらけの人格破綻者になっていった。

 

だが前述のとおり性格や気分や価値観が極端にコロコロ変わる性質のオレはその女嫌い・人間嫌いのキモオタの人格も長続きはせず、一転して人当たりのいい女ったらしな性格にもなった。

 

女が大好きな28歳の引きこもり童貞だったオレは2009年にブログをやっていた。それまでも定期的に言いたいことを書いて自殺しようと企ててブログをやっていたが、すぐ消してしまっていた。

 

2000年代中盤から後半にかけては(SNSとしての)ブログの全盛期だった。その後ブログのSNS機能はmixiFacebook、そしてTwitter、インスタへと取って代わられ、今ではブログはアフィリエイト系ブログが主流になっている。(noteは微妙な立ち位置にあるが)

 

そんなブログ全盛期はSEOの概念も今ほどは流行してなく、少なくとも個人ブログ系までSEOを気にしまくるような時代ではなかった。

 

今でこそSEOと世間体を気にするようになってしまい、ネットもすっかり怖くなっちゃったが、当時はネット上でいきがりまくり、暴言を吐いたり独創的なキャラ全開でポエムその他いろんな面白い記事を書いていて、構ってちゃんだったオレはコメント蘭も解放してわざと挑発的な記事を書いたりしていた。

 

女子高生や女子大生の女の子や、シングルマザー、メンヘラ女、クリスチャンの優しい女性など、いろんな女とつながって楽しかった。

 

構ってちゃんでメンヘラだったオレは人に心配してほしくて「人を56してオレも4ぬ」みたいな記事を書いていて、優しい女からコメントをもらい、母性本能に癒され、そして発情していた。

 

そんな中、とある普通の事務員の20代半ばの女性と仲良くなり、遠距離恋愛をして実際に会うようになり、28歳でようやく童貞を捨てることが出来た。「初めてじゃないみたい」と言われたが、幼稚園の頃から布団や登り棒を相手に世ックスの練習をしてきたし、自分の体や千クビを愛撫してきたから当然のこと。

 

だがその女性に対してキガイ性を発揮してしまい(境界性パーソナリティ障害と交際した人なら分かると思うが)、触り方がいやらし過ぎたり、下品なことやわざと嫌われるようなことを言って(試し行為という)、すぐにフラれてしまった。だが幸せだったし、あの体験がなければ完全に犯罪者になっていただろう。

 

フラれた腹いせに事務員の女性のマンションで自殺しようと考えていたが結局は実行せず、全てがどうでも良くなってしまった。ブログも辞めてしまった。

 

童貞は捨てたものの、パートナーを失いまたリセットされてしまい、童貞が長すぎたせいでまだ童貞のような気分だったり、自己同一性が不安定で空虚な境界性パーソナリティだったオレは世ックスをしても心の底は満たされないというか、瞬間的には満たされてもそれが一瞬で消え失せて極度の虚しさに駆られてしまう病気なため、またしても世ックスしたくてたまらなくなってしまった。

 

事務員の女性の励ましのおかげでまた短期バイト程度の仕事をするようになり、くそったれの派遣バイトなんかを時々やるようになった。

 

そのバイト先でも女ばかり眺めていて、世ックスをする妄想に耽って才ナ二ーしまくっていた。事務員にフラれたショックでもう誰とも関わりたくもなくなっていたオレはバイト先の女に声をかけて付き合ってもらうことが出来なかった。

 

もう自殺することしか頭になかったが、童貞時代にカップルを見るたびに折りたたみケータイをへし折って破壊し、ローンで新しいケータイを買ったり、新規0円の端末を買う為に(携帯大手各社が、継続利用者の機種変よりも新規顧客を優遇してるのが問題になっていた時代)新しい回線を契約して借金があり、事務の子にも金の借りがあった為、それを返済するまではバイトをしていた。

 

2013年以降はまったく仕事をせずにまた引きこもりニートに戻っていて、廃人のようになり、アル中になり、うつ病を発症した。(正確には躁うつ病のうつ病エピソードだが)

 

もう人生どうでもよくなり、毎日酒を飲んだくれ、M尾系のAVを見て千クビをいじりながら千ンポをシゴきまくり、ドラクエ8のモバイル版を何十周もプレイしていた。作曲もしなくなり、ただのキモオタ廃人になってしまい、顔つきもどんどん犯罪者になっていき、歯も磨かずに歯石がびっちりとこびりついて真っ黒になった。

 

世の中を憎悪するようになり、寝ている時に外の通りから女のヒールの音が聞こえると、いちいち情欲を掻き立てるヒールの音や女の生足やタイツ足が憎くなり、暴行したい衝動に駆られるようになっていった。

 

親への恨みやカップルに対する嫉妬心などによって家の壁を破壊したり大声を上げたりしてキガイで近所迷惑になっていたオレは2015年に精神病院へ入院したが、半分は演技だった。半分演技・半分本気で発狂していたオレは入院中に冷静に他の患者を観察していた。病院の看護師の40代前半くらいの女性のおっいぱがデカく(GHはあった)、揉みたくてたまらなかった。もう一人の看護師はもっとババアだったが原型はなかなかの美人で、Sっぽい顔をしていた為、ドMなオレは看護師に手キコしてもらう妄想をしながら病院のベッドで才ナ二ーに耽った。入院という環境に便乗してキガイを装い、看護師の前で千ンコを出したりしたが、熟練の看護師たちに軽くあしらわれてしまい、それはそれでたまらなかった。

 

退院した後、月6万ほどの障害年金を受給出来るようになり、少し救われた。

 

その後は実家にいると暴れてしまうという理由から、家賃を仕送りするから一人で暮らしてくれと言われ、2018年から一人暮らしをはじめた。20代前半の頃以来の一人暮らしだ。

 

part⑤へ続く

©Hiro Kinohara
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