紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

性欲に悩まされ続けた40年だった③

パート①   パート②

性欲やその他いろんなことに悩むのが嫌になって首を吊ったが死ねなかった24歳のオレは仕事も辞めて引きこもりになった。2005年夏のことである。

 

「はやく死にたい」「○○になったら自殺しよう」と考えながらも世ックスしたかったし、この世の真理や仕組みを理解してから死にたいと思っていた。まだ若かったので、心のどこかで生きる希望を探していた。(その後40歳になるまでの約15年間、そうやって絶望と希望を行き来しながらダラダラと生き続けてしまうことになる)

 

引きこもり当初は親の理解もなく、仕事しろと追い立てられていて、自分が誰なのかも分からなくなり誰とも顔を合わせたくも喋りたくもなかったオレは自殺用のカッターとタオルを懐に忍ばせながら外をふらふらと出歩いていた。

 

往復4時間の散歩("ひとり歩き"と呼んでいた)をすることが多く、時には810時間くらい歩いていたこともあり、あれこれ考えながら巡礼者さながらひたすら歩いていた。

 

自殺をした時に服を全部捨ててしまった為、みすぼらしい格好でふらふらしながらいろんなところを歩き周り、カップルに嫉妬し、公衆便所で全裸になって才ナ二ーをしたりしていた。

 

今でこそ痴漢みたいな人間になってしまったが、真面目で純粋な心を持っていた当時のオレは痴漢することは考えていなかった。ストーキングはしていたが、たかだか100mほど後をつける程度だった。ときどきケータイで後ろ姿を盗撮することはあり、罪悪感に苛まれていた。

 

なるべく家族、特に父親と接触したくなかったオレは埠頭や浜辺あたりで野宿したり、ネカフェや居酒屋に泊まることもよくあった。

 

ネカフェの(完全ではない、仕切りだけの)半個室でAVを見てネカフェにあるおしぼりを使って才ナ二ーをしたり、コップの中に発射したりしていた。

 

その頃に2ちゃんねるの存在を知り、自殺系の板をよく見ていた。コソコソと2ちゃんを見るのもかっこ悪いなと思って仕切り扉を開けて堂々と見るようにしていた。

 

ネカフェ店員の、貧乳で優しそうな綺麗な女の人を好きになり声を掛けたかったが、引きこもりになり家族にビクビクしながらコソコソ生きているうちにただでさえ脆弱なオレの自律神経はいっそうおかしくなり、PTSDのような症状が出るようになり、美容院に行くのさえ怖くなってしまったオレはバリカンで丸刈りにしていたし、服もボロボロだったし無職で自殺を考えていたので自信を持てず、声をかけることが出来ず、近くの公園のブランコでビールを飲みながら泣いていた。

 

ネカフェの店員の綺麗で優しそうでちょっとだけ価学会の匂いがしなくもない女の人と世ックスする妄想をしながらいつも通り布団をグルグル巻きにしてティッシュを敷き、尺取り虫のように腰をヘコヘコ動かしてうつ伏せ才ナ二ーをしていた。

 

もう風俗でいいから童貞を捨てたかったが、風俗に行くための金も勇気も人格も持ち合わせていなかった。

 

真理や哲学を追求したかったオレは足しげく図書館に通っていた。オレと同じようなホームレスや、頭おかしい生活保護受給者みたいな気持ちわりー奴らがたくさんいた。好奇心旺盛で何かに興味を持つと頭を他のことに切り替えられないADHDのオレは仕事を探したり自殺する計画もすっかり忘れ、ありとあらゆる本を読み耽った。哲学、歴史、文学、パソコンとプログラミング系の本などいろいろ読んだが、特に精神疾患や人間の人格形成に関する本はよく読んでいた。

 

当時は「罪と罰」で有名なドストエフスキーにハマっていて、「ドストは才ナ二ーしなかったのかなぁ」「ドストは才ナ二ーしたあと手も千ソコも洗わずに考えごとに耽ってそうだよなぁ」「ドストは常にズボンの股間部分が湿ってそうだ」なんて考えながら、本を片手にみすぼらしい格好で街を徘徊していた。罪と罰に出てくる娼婦のソーネチカが好きだった。

 

意識だけは高い勘違いニートだったオレは、同じ勘違いニートであった罪と罰の主人公のラスコーリニコフに共感していたが、40歳になった今では最低なスケベ親父でありながらまっとうな人間に生まれ変わろうとしつつも自らの欲望に勝てず、ラスコリの妹のドゥーニャと結婚出来たらまともな人間になろうと考えていたがフラれてしまい、最終的にはピストル自殺したスヴィドリガイロフに共感せざるを得なくなっている。

 

自殺したかったが、(40歳の今こうやってブログ書いたり音楽配信してるのと同じように)ハタチの頃から書いてきた曲をMDに録音してから死にたいと思い、世ックスが出来ない悔しさを八つ当たりをして傷だらけになったギターを弾いて、アンプの音をテープレコーダーに録音し、MDにダビングした。結局、その後も何かに関心を持って自殺することもすっかり忘れるということを繰り返し、「どうせ死ぬから働かなくていい」と言いながら親に寄生し、わがままに好き勝手生きてきた。

 

痴漢現場に遭遇したこともあった。オレ以上に終わってる奴が女子大生っぽい女の子に襲い掛かり、女の子がバッグで払いのけていた所を27歳の童貞だったオレが通りかかり、犯人は逃げていった。オレも痴漢と大して変わらないのだが、心がピュアすぎて変に正義感の強いオレはそういう時にはやたらと正義感を出し、「大丈夫?」と声を掛けて犯人を追いかけたが、内心あの女の子とヤりたくてたまらなかった。家に帰って女の子を痴漢から救ってそのまま付き合って世ックスをする妄想に耽りながら才ナ二ーをした。

 

パート④へ続く

©Hiro Kinohara
著作権について  プライバシーポリシー