紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

性欲に悩まされ続けた40年だった①

性欲そのものが強いのか、普通なら抑えられる欲求や衝動を抑えられないだけなのか分からないが、とにかく性欲に悩まされ続けた40年だった。

 

幼稚園か、小学校低学年で登り棒や布団に擦り付ける才ナ二ーをして性的快楽を覚えて以来、オレは毎日のように才ナ二ーをしまくってきた。そして毎日女のことばかり考えてきたし、毎日女を眺めてきた。

 

8才の時には女の後ろ姿を眺めてる様子を描いた詩を書いた。その後30年以上に渡って路上で見かけた女の後を追いかける、ストーカーまがいの病気に悩まされてきた。

 

小・中学校の頃には母親のブラジャーを付けて才ナ二ーをしたり、電マで才ナ二ーをしたりしていた。犬の散歩中に我慢できずに公園の物置きの裏に隠れてしたこともある。犬に舐めさせたこともあるが、エサと間違えて噛まれないように鎖につないでベロの先っちょだけ届くようにして舐めさせた。

 

布団をグルグル巻きにして女体に見立てて、うつ伏せになって同級生の女子の写真を見ながら布団に擦りつける方法を覚えたが、中学になると精子が出るようになったため、ティッシュを敷いて擦りつけるようになった。

 

中学の卒業アルバムの女子の顔を切り取り、亀頭に貼り付けて才ナ二ーをしていた。皮を動かすたびに顔が出たり隠れたりして面白かった。

 

中学で童貞を捨てたかったが、非常にシャイであり、会食恐怖症のオレは食事デートが怖くて女と付き合うことができなかった。実際には少し付き合ったが奥手だった為すぐに捨てられてしまった。

 

高校に入っても毎日才ナ二ーしまくった。共学で、毎日ミニスカ女子高生に囲まれて勃起が止まらなかった。当時は普通の感覚だったが、オヤジになった今となっては天国のような環境だった。当時の自分が羨ましい。ある女の子を好きになって毎日妄想才ナ二ーをしまくっていた。パソツを見せてくれと頼んだりしていたが断られていた。

 

結局、高校でも彼女は出来なかった。女子との絡みはたくさんあったが、いざ二人きりになると何を話したらいいのかも分からず、子供でいたかったオレは大人になるのが怖く、彼女を作ることができなかった。オヤジになった今は時々ピンサロへ行って制服を着た女の子と遊んで、当時叶わなかった夢を疑似的に叶えている。オレが女子校の教諭だったら確実に盗撮やわいせつ行為で逮捕されていただろう。

 

大学生になっても才ナ二ーをし続けた。バイト先の女の子を一人暮らしの部屋に連れてきたりしていたが、ウブで勇気がなくて世ックスは出来なかった。女の子が帰ったあと、枕や布団に付いた匂いを嗅ぎながらうつぶせ才ナ二ーをしていた。隣の部屋から聞こえてくる女子高生の喘ぎ声を聴きながらシゴいていた。

 

彼女みたいな関係になった子もいて、デートをしたりそれまで周囲に隠していたパニック障害のことを話したりして好きになったが、シャイすぎたり子供の人格が出そうになったり(実際、ちょっと出ちゃって二重人格みたいと言われて焦ってしまった)世ックスできなかった。キスをしそうな所まではいったが、怖くなってバックレてしまった。人と深い関係になりそうになるとバックれる病気はこの頃から本格的に始動しはじめた。せめて大きめなおぱっいだけでも揉ませてもらえばよかった。

 

その後も別のバイト先の女の子の忘れ物の傘を股間に擦りつけて女の子の家まで届けたり、更衣室にあった他の子の写真を持って帰ってシゴきまくった。バイトの子とちょっとドライブデートしたりもしたが、やはり普段は面白いキャラでいてもいざ女の子と二人きりになると変に真面目ぶったり背伸びしようとしてしまう為、うまくいかなかった。

 

20代前半になるととにかく童貞を捨てたくて出会い系に手を出したが、サクラに踊らされただけだった。相手の言葉をそのまま受け取ってしまうアスペルガーな所があるオレは、今なら一目で分かるサクラや業者にまんまと騙されていた。

 

出会い系とは別のサイトを使って歳上のOLなんかと話したりしていたが、何を話したらいいのか分からず、変に大人ぶってしまって本当の自分を出せなかったため、実際に会うことはなく、すべて冷やかしで終わってしまった。

 

プライドの高い完璧主義者だったオレは「風俗で童貞を捨ててはいけない」という縛りを設けていた。

 

いろんな女と付き合ったり世ックスする妄想をしまくっていたが、全ては妄想で終わってしまった。とにかく世ックスしたくてたまらず、女のことばっかり考えていた。

 

パート②へ続く

©Hiro Kinohara
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