紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

4年前に死にきれずに始めた創作活動の振り返り⑦ コロナパニックの2020年初頭

Part⑥

 

2019年末から2020年にかけてコロナが世界中に蔓延し、世界はパニックに陥り、オレの生活と創作活動にも様々な影響があった。

 

年明けから春になるまでは2019年末に制作した、カーリングやスキーを題材にした冬デザインのTシャツその他の商品(→パート④)冬の曲「iScream(→パート③)の宣伝をメインでやっていた。

 

カーリングTシャツは2月に行われる予定だった世界カーリング選手権(2016年に日本のロコソラーレが歴史的な銀メダルを獲得した大会)に合わせて大会のハッシュタグを付けて宣伝していたが、コロナの影響で中止となってしまった。

 

スキー場も閉鎖される中、ウィンタースポーツをテーマにしたiScreamを宣伝するのも微妙だった。

 

パート④にも書いたが、漢字を元に作っていたアートワークのシリーズも、時間配分の関係から辞めようと思ってた所へ「チャイナ・ウイルス」によるアジア人差別の悪化が起こり、撤退を決定付けた。漢字アートだけでなく、海外市場におけるオレの活動全てに悪影響をもたらした。

 

Facebookで知り合った同業者のヨーロッパ人に「君の作品は素晴らしいがナショナリズムのせいで売るのは難しいだろう」と言われたが、日本人のアーティストとして世界に認められたかったオレとしては、プロフを詐称してまで創作活動で稼ぎたいとは思わなかった。

 

宣伝以外には今後やることの整理や戦略の見直しをしたりマーケティング関連のブログを読んだりすることが多かった。

 

ウイルスそのものだけでなく、コロナによって行動が制限されたり不安や神経質になったり、感染してるかもしれないという他者に対する疑念や警戒を持ったりというストレスもまた人から人へと伝染していった。

 

精神を患って以降、毎年春になるとオレの精神は非常に不安定になって落ち着かず、焦燥感に駆られたり不安になったり思考がまとまらなくなったりして、特に平日の昼間に自宅にいると自殺しそうになってしまう。さらに鳩のように発情期になり(年中発情期だが)、イライラして落ち着かなくなるのだが、そこにコロナによるストレスまで加わり、2020年の春は仕事どころではなかった。

 

いつもは日中出かけていたアパートの隣のデカい咳をするオヤジも在宅するようになり、それもお互いにストレスになった。

 

逆隣の被害妄想持ちの引きこもりも発情期なのか知らないがイライラしはじめ、壁をドンッ!とやってくるようになった為、基本的にはビクビクして泣き寝入りしてしまうオレだが時々はヘッドホンで大音量で音楽を聴いて自分を鼓舞し、気も狂わんばかりに金切り声を上げたりしてやり返した。

 

ただでさえ春の平日の昼間は死にたくなるから家にいたくないのに、コロナストレスの伝染にまで巻き込まれたオレは春の間は外出することが多かった。そして何をやるにも集中出来ず、タバコを何本も連続で吸いながら同じ考えごとを続けていた。摂取すると鬱や不安や吐き気や目眩に襲われて絶望的になるカフェイン(特にコーヒー)も依存症でマゾヒスティックな為やめられずにいた。GW明けくらいまで不安定な状態が続いた。

 

オレがデザインをアップロードしていたPODサービス各社はこぞってマスクの販売を開始した。死人が出ているコロナに便乗したビジネスや人間や自分の浅ましさに嫌悪感を覚える真面目な自分がいる一方で、祝日や災害時になるとアドレナリンやドーパミンが異常に分泌し、お祭り気分のようになっている幼稚でADHDの自分もいた。

 

紀伊原ひろのショップ「Kinoco Mart」で販売中のマスク
Zazzle.comのショップ「Kinoco Mart」で販売中のマスク
鉄塔を使ったデザインとイソギンチャクに隠れるカクレクマノミ

 

東アジアのマスク文化は欧米から気持ち悪がられていたが、コロナによって価値観は一転し、いわゆるパラダイムシフトが起こり、子供の頃から既存の価値観や常識や流行を嫌って何か新しいことをしたり発明したいと思って生きてきたオレは興奮した。

 

困ってる人をほっとけなかったり、映画や音楽に感動しやすく涙もろい面や、ユーモラスで社交的な面もある一方で、心の奥底では生まれてきたことや世の中や人間を憎悪しているようなトリックスター型の精神を持ち、挑発的な行動や非常識な行動をして必要以上に悪人扱いされやすいオレは、感染者だけでなく、ウイルスにさえ同情してしまった。

 

ウイルスには人間と違って意思や悪意はなく、今回のパンデミックも人間の欲望(食肉)に端を発している。人間とウイルス、どっちがクズなんだろうか的な意味と、普通の人生を歩める人間に対する嫉妬と敵意を込めたイラストを描き、Tシャツを4月に作成した。

 

 

このイラストをPiterestのグループボードでシェアすると、意識高い系の綺麗な白人女性に叱られてしまった。「こんなのはアートじゃない。悪意に満ちたゴミ」と罵られたオレは傷付き、涙目になって手足がワナワナと震えながらもマゾヒスティックな快楽に浸っていた。「はぁはぁもっと叱ってくれ

 

そしてオレは「確かに稚拙な作品だがオレは真剣です。ウイルスには人間と違って悪意が無いじゃないですか。オレはそこまで悪い人間じゃないから誤解しないでほしい。つい先日もトイストーリーを見て号泣していました。患者とその家族には深く同情しています。」と言って弁明をした。

 

だが自分や親しい人が感染して苦しんでたらもちろんこんな絵は描かなかっただろう。他人に対する共感性がある時とない時の落差の激しさに戸惑ったのはもう何百回目だろうか。映画に感動したり困ってる人や弱者をほっとけないのだが、自分より幸福な人間、普通に生きられる人間が圧倒的に多数な世界全体に対してはついつい悪魔的になってしまう。

 

オレの中の子供の部分、インナーチャイルドが勝手にこういう稚拙で挑発的な行動に走ってしまい、常識的な大人の自分がそれを恥じたり罪悪感を感じてしまうということがよくある。故・志村氏のように幼稚な顔と大人の顔を適材適所で使い分けたいものだ。合唱

 

つづく

©Hiro Kinohara
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