紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

4年前に死にきれずに始めた創作活動の振り返り⑤ 2019年のSNS運用

パート④

音楽やオリジナルTシャツなどを宣伝するためにSNSをやる必要があったが、すっかりネットが怖くなってしまったオレはSNSをやるのを躊躇していて、PinterestTumblrを使っていた。

 

Pinterestは検索にもかかりやすいし効果ありそうだから続けていたが、Tumblrは微妙だった。なぜタンブラーなんか使ってたのか今ではよく分からないが、とりあえず日本のネットとか言葉の雰囲気が嫌いだから海外に逃亡したかったらしい。結局のところ、日本だろうが海外だろうが人間の本質は変わらないのだが、とりあえず世間体を気にして敬語を使いながら中途半端に2ちゃん用語やwwみたいな汚ねえ言葉を挟むようなキモめな雰囲気は海外ではほとんど無いからそれが良かった。リブログされるのを期待してたのもあったのかもしれない。

 

ショップのマーケティング戦略を検索すると「独自ドメインのWebサイトを持ったほうがいい」と書かれてることが多く、どの道ブログもやりたいと思っていたのでドメインを取得してタンブラーの代わりにBloggerをやることにした。

 

ブログのカスタマイズなんてやってる場合じゃないのに、ブログに関心が移るとまたADHDの悪い癖で、やるべき事や置かれた状況を忘れて没頭し、おそらく二週間くらいはBloggerのカスタマイズに囚われていた。普通に仕事してたらそんな暇はなかっただろうが、その方が現実的な思考回路になって余計なことに手を出さず、かえって良かったのかもしれない。

 

実家でニートしていた20代の頃にWebブラウザのFireFoxをいじったりしてたため、HTMLCSSの基本は抑えていた。この4年間の活動をする上での基本理念として、「バラバラに散らかっている、今まで身につけては無駄になっていたスキルや知識を回収し、別のスキルやアイデアと組み合わせて再利用する」というのがあり、HTMLのスキルをここで役立てることができた。(結局Bloggerは辞めてしまったが今のはてなブログでもスキルを活かせている)

 

Bloggerブログに日本語でショップや商品を紹介する記事を書いたりしていたが、海外で販売してる物を日本語で書いても意味は無く、日本語と英語の二つのサイトをやろうとしたり、アクセス元の地域によって日本語と英語を自動で切り替えられるようにする方法を調べたりする等、またしてもいちいち凝ったことをやろうとしてしまう病気が出てしまっていた。

 

今やってるこのブログみたいに、自分の考えなんかを書いた記事と、作品を紹介する記事を一つのブログでまとめてやっていた。

 

「複数のブログに分けたくない」、「サイトは一つで十分」、みたいな柔軟性に欠けるミニマリスト的でいちいち自分の人生や生活に"縛り"を設ける病気も発動してしまった。

 

金が無いからドメインを複数取りたくないのもあったし、タスクが増えるとすぐにテンパってしまうADHDとしてはただ単に複数のサイトを管理するのがめんどくさいというのもあった。また、自己同一性がめちゃくちゃでいろんな方面に手を出す器用貧乏な人間としては、そんなめちゃくちゃな精神性を一つのサイト内で表現したかったというのもあったし、今でもある。そして女子大生に「いろいろやってて多才な人ですね!」と言って褒めてもらいたかった。

 

2021年の春にはショップも放置し、海外で販売してる商品の宣伝も辞めたが、商品以外にも音楽を日本語と英語を両方使って宣伝したかったり、日頃の行いを棚に上げて意識だけは高いオレとしては世界に言っておきたいことを英語で発信したかったりして、日本語と英語問題には悩まされ続けた。

 

Bloggerは孤独すぎて続かず、やはりメジャーどころのSNSを使わないとダメだと思い、炎上ニュースの絶えないTwitterは怖いから避け、とりあえずFacebookをやることにし、ほどなくしてインスタもはじめた。

 

Facebookが全盛期だった頃、オレは友達がいない引きこもり(今も大して変わらないが)だったのでFacebookは使っていなかった。実名なのも抵抗があったが、結局Hiro Kinoという実名っぽいハンドルネームでFacebookをやりはじめた。

 

前述の通り日本社会が肌に合わずに精神を病んで引きこもりになったオレは海外に行ったこともないのにSNSのプロフや投稿を英語で書き、外国人をメインにフォローしていった。オレと同じように英語でやってる日本人も少なからず居た。やはり彼/彼女らも中途半端に表面上だけ欧米化して英語も喋れないのに英単語を使いたがる日本社会が気持ち悪かったり肌に合わなかったりしたのだろう。

 

オレの英語力は高校生レベルで、読み書きしか出来ず、かなりゆっくりカタコトでしか喋れない。高校に入ってからは授業を聴いてなかったりサボったりしていたが、洋楽や洋画に憧れていたオレは英語だけは勉強を続けていた。洋楽の歌詞や映画のモノマネをしたりして発音やボディランゲージの練習もしていた。英語の歌詞で歌うミュージシャンを目指していたハタチくらいの頃は短期間だが英会話スクールに通っていた。結局は高校生レベルだがそれでもネットで外交官と軽く交流したり商品を販売したりサポートにメールで問い合わせたりすることくらいは出来ている。ビデオチャットは無理だが。

 

音楽はまだ宣伝するようなまともな作品がなかった為、オリジナルデザインのTシャツなど商品の宣伝をメインでやっていた。

 

最初のころはPinterestに全ての商品の画像を保存してハッシュタグを付けて、今は無くなった(?)グループボードにもシェアしていたが、地味にしんどい作業だったのでTシャツやステッカーなど、安めで売れ筋な商品だけにすることにした。

 

FacebookTシャツデザイナーグループやアート系、音楽系のグループに参加し、そこのメンバーに友達申請したり、友達になった人のプロフにPinterestやインスタのリンクがあればそっちでもフォローしていった。

 

今となっては時間的にも精神的にも辛くてすっかり辞めてしまった、同業者を検索してフォローしまくる作業やタイムラインのスクロール、社交辞令のイイネ返し、コメント返し、嫉妬するだけで全く興味のないストーリーズ投稿へのリアクションなどを2019年のうちは一応続けられてはいた。

 

昼飯食いながらデザイン系のアカウントで上記の作業をし、夜は音楽系をやる、みたいなルールを決めていたが、音楽、デザイン共にまだまだ宣伝する作品が少なく、作品作りに多くの時間を割いていた為、フォロワーの伸びは少しずつだった。オレが白人だったら3倍は伸びていただろう。

 

すっかり人間嫌いな感じになってしまい、物事に対する関心もなくなってきたオレは他人の投稿を見る気にもあんまりなれなかった。友達が一人もいないので、友達や家族と楽しそうにしている写真とかは嫉妬するし凹むから見たくなかった。それでもFacebookのデザイナーグループやインスタは言葉ではなく画像や音楽動画がメインなのでTwitterよりは全然マシだった。

 

音楽の方はまともに完成させた作品がほとんどなく、下の動画のように即興で作ったギター曲に軽くエフェクトをかけただけの汚いメモ音源に画像をつけた動画を投稿していた。本人出演はまだしていなかった。

 

 

音楽も最初はFacebookグループとインスタ両方やっていたがめんどくさくなりインスタだけやることにした。当時は街で撮った写真を加工した画像なんかも投稿していた為、そういう画像と一緒に音楽ビデオと曲のカバーアートもPinterestとインスタに投稿していた。

 

当時はまだ幼稚なところがあり、くだらないネタ画像なんかも投稿していた。

 

インスタにはTwitterと違って音楽系ハッシュタグがいっぱいあり、今と違って動画もリールではなく通常投稿の扱いだった(リール自体まだ無かった)ので、フォロワー以外の不特定多数にもけっこうリーチしていて、ちょっとしたギターリフなんかを投稿するだけでも20イイネくらいは付いた。

 

イイネのほとんどが実際にはちゃんと視聴してない、自己宣伝のために足あとを付けるのが目的のイイネだが、SNS初心者でアスペルガー傾向のあるオレはまんまと騙されて喜んでいた。ごくまれにまともなコメントも付いた。このブログのはてなスターもほとんどタイトルだけ見て内容読んでなかったり足あと付けて自己宣伝する目的で付けてるんだろうが、今はスターの数をほとんど気にせずに淡々と使ってる。

 

SoundCloudもしばらくやっていて、前述の汚いメモ音源を投稿したり、検索してフォローしたりしていたが、SoundCloudなんて同業者ばっかりで一般リスナーはあんまりいないだろうと思ったのと、時間的にも余裕がなかったので有料のプロ版も使っていたが辞めた。

 

インスタやSoundCloudに音楽を英語で投稿すると、「Amazing! DM me to promote it (素晴らしい!プロモーションしてあげるからDMして)」みたいな、宣伝代行業者(乞食)どもからのコメント(スクリプトによる自動コメント)が必ずつくから、"DM"とか"Promo"などを非表示ワードに登録した。

 

金が無く作品も少なかったのでインスタやFacebookの広告は出さなかった。もちろん上記の乞食どもには一銭たりとて落とさなかった。

 

SNS運営初期の失敗として、「押し売り」的なことをしてしまったというのが挙げられる。例えばカーリングを題材にした作品を作ったら、普段はカーリングなんて興味ないくせにその時だけ商品を見てほしいが為にカーリング選手やカーリング関係のアカウントや投稿をフォロー/イイネしまくる、という事をやっていたが、そんなことをしても結局は逆効果で、宣伝するのに必死で「自分がされたらどう思うか」ってことをあんまり考えていなかった。この手の失敗はおそらく多くの人間が経験していることだろう。

 

何はともあれフェイス、インスタ共に海外の同業者とつながれたりして、今までに無い体験が出来たので、そこそこ楽しみながら使っていた。今ではまったく見る気になれないギターやドラムのプレイ動画なんかも見ていた。

 

つづく

©Hiro Kinohara
著作権について  プライバシーポリシー