紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

4年前に死にきれずに始めた創作活動の振り返り③ ADHD全開だった2019年

2019年の春(37)に練炭で死ぬのが怖くて死ねなかったオレはこの世に何かを残したくて本格的に創作活動を始めたわけだが、その2年前からiPhoneの音楽系アプリやアニメーション制作系アプリを少し触ったり、9年ぶりに曲を書きはじめたりはしていた。

ギターを持って出かける、友達も彼女もいなくて引きこもりがちな37歳のうつ病ソングライター

2018年には、21歳だった2003(引きこもりになる2年前でまだフルタイムで働きながら人とも関わっていた時代)に書いた黄金蝶という曲をiPhone版のFL Studio Mobileの使い方を覚えながら録音していた。それまでギターのコードやリフをいっぺんに弾かずに低音部と高音部みたいに何パートかに分けてキレイに録るという作業をしたことがなかったからその練習をしたり、EQやコンプレッサーの知識もなかったからそれも学びならが録音していた。

そして20195月に本格的に創作活動を開始したわけだが、音楽以外にもデザインをやろうとしてたりブログを書こうとしてたりビジネスやアプリ、サービスのアイデアをYouTubeで公開したりどっかに売ろうとしてたりして、やりたいことやアイデアでいっぱいだった。

 

28歳の時に調剤薬局の事務の女性に童貞を捨てさせてもらったオレは、薬局を舞台にした音楽アニメーション動画シリーズを連載する構想も数年前から持っていて、キャラやストーリー設定なんかもしていたが、さすがに一人でやるには時間がかかるため断念した。

 

無計画で時間配分が出来ず欲求を抑えられないADHD全開だった当初は、いきなりやりたいことを全て一度にやりはじめてしまった。音楽制作にどれくらい時間がかかるのかも分からなかった。

 

20年前から書いてきた音楽をちゃんと録音して配信するのが一番やりたいことだったが、とにかく最低限親からの仕送り分だけでも自分で稼ぐ必要があり、パート①に書いた通り普通の仕事はもうしたくなく、人と関わらずにネットで金を稼ぎたかったオレはデザインをやることにした。音楽で稼ぐのは最初からほぼ諦めていたが、稼ぎはともかくリスナーは増やしたかった。

 

「音楽をこの世に残して自殺する」と言いながらも、何か他にやりたいことや興味が湧いたり、喜怒哀楽を誘発させる出来事が起こるとすぐに趣旨や目標が変わってしまうADHDであるため、デザインをやり出すと「デザイナーとして一生食べていく」かのように没頭しはじめ、アイデアや妄想が溢れ、シリーズ物のデザインをやって専門ショップを立ち上げる妄想をしたりして、どんどん趣旨が変わっていってしまっていた。

 

道を歩いてる時なんかにビジネスアイデアが浮かぶと今度はそれに没頭しはじめて音楽やデザインのことをすっかり忘れてしまう。

 

2020年まではまだ世の中のことや社会問題などにも関心があり、世界の価値観を変えるような本や動画を作る妄想もしていて、本なんかも読んでいた。

 

今書いてるこのブログのようにメンタルヘルス系のブログやYouTubeをやろうとしたり、その為のアイデアが湧いてきたりして何から着手したらいいのか分からなかった。

 

障害年金と仕送りに甘えさせてもらい、その日の気分に任せて好き勝手にいろんなことを同時進行でやっていた。金はそのうち稼げるようになればいいという、根拠のない余裕があった。(仕送りをしてくれる母が倒れたら家賃払えずにホームレスになるというにも関わらず)

 

音楽に関しては2019年はまだミックス作業の勉強中で、音楽動画の作り方も模索中だった。

 

今でこそグラサンかけながらもYouTubeで本人出演しているが、ネットで人に暴言を吐いたり挑発的なことを書いて中傷されたりしてきてすっかりネットや世の中が怖くなって引きこもりのウジ虫になってしまった傷つきやすすぎるHSPのオレはYouTubeをやるのが怖かった。高評価と優しいコメントだけ欲しく、低評価や批判は心臓がドキッとして手が震えるから嫌だった。

 

そんなオレは本人出演しない方向を模索していて、音楽にカッコいいアニメーションを付けたりしようと考えていて、アニメーション系のアプリの使い方やアニメーション制作について勉強していた。アイデアだけはたくさんあった。最初は音楽、動画共にクオリティの高い作品を作ろうとしていたが、すぐに投げ出してしまうADHDの気質や、かかる時間を考慮して、音楽、動画共に70点くらいのクオリティで妥協して、発想力や独創性で勝負しようと考えるようになった。

 

それでもいざプロジェクトに取り掛かると細部まで気になってしまったり完璧主義が発動してしまって、予定していたよりも全然時間がかかってしまっていた。特に音楽の音作りは明確な正解がなく、終わりがない作業なため、時間がかかってしまった。

 

当時デジタル端末は3万5千で買った中古のiPhone6s Plusしか持っていなく、Apogee Jamを使ってギターをiPhoneに繋いで、iPhoneだけで音楽も動画も作っていた。

 

実家にいた時にむしゃくしゃしてケータイを何本もへし折っては新しいのをローンで買ったり回線を何本も契約するという失態をしてきてパソコンも破壊したりしてきた反省から、物を大事にしようと思いiPhone6s Plusは2021年の10月に水没するまで使い続けた。

 

 

打ち込み系のデジタル音楽にも少し挑戦したが、やっぱりギターを弾くのが一番好きだった。下の幼稚なハロウィンアニメーションはレトロゲームのピコピコ音の打ち込みアプリで作った「風呂掃除」という曲。(クリスマスバージョンはこちら)

 

結局2019年にそこそこまともに完成させられた曲はパート①で挙げた「朝蓮」と下の動画の「Iscream(歌無し版)」の二つだけだった。前者は夏の曲で後者は冬だが、たとえば夏の曲を夏にリリースしたい場合、本来なら余裕を持って春のうちから取り掛かかって夏の初めにリリースすべきなのに、ADHDなオレは夏になって急に夏の曲をやりたくなり、慌てて作って結局は夏の終わり頃にようやくリリースするという事態になってしまった。そしてそういう無計画性や時間配分のミスを2020年以降も続けてしまうことになる。

 

歌無しのインスト曲しかなく、本当は歌を入れたかったが、洋楽を聴いて育ったオレは英語の歌しかやりたくないというこだわりがあった。日本語で歌うのは恥ずかしいというのもあったし、日本語だと音楽に国境が出来てしまうというこだわりもあり、アスペルガー的なこだわりの強さを発揮していた。(オレはADHDとアスペルガーを併発している)

 

アパート暮らしなため自宅で歌うことも出来ないし、スタジオに行くのもめんどくさかったり恥ずかしかったり予約の電話するのも緊張するから嫌だった。何より英語の歌詞を用意したり練習するのが面倒だった。

 

発達障害なオレは日本文化に馴染めず、日本語の雰囲気とか、はっきり物を言わない文化とか、同調圧力とか、粗探しばっかりで褒めることが出来ないイヤミくさくて陰湿な奴が多いのが大嫌いで、日本のネットのモラルの低さにもうんざりしていたので、そういう意味でも英語の歌詞とか、歌無しとかコーラスだけの曲など、狭くて息苦しくて生き辛い日本に留まらないグローバルな音楽をやりたかった。(パート①で挙げた草間彌生も日本が合わず海外で成功した)

 

そんなわけで、音楽を宣伝するためのSNSも英語メインでやることにした。

 

つづく

©Hiro Kinohara
著作権について  プライバシーポリシー