紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

4年前に死にきれずに始めた創作活動の振り返り25 - 冷ややかなアコースティックの2022年春

パート24

2月後半になると、2017年の冬にギター部分だけ作った「冷香」という冬の曲に歌を付けてレコーディングしたくなった。

 

10代の頃からずっと英語の歌詞のオリジナル曲をやりたいと思っていたオレは2021末から2022初頭にかけて英語の曲を2曲リリースすることが出来たが、やはり手間がかかるし、アジア人だし文法も発音も微妙なため、海外からの評価も大して得られず、英語だから日本の一般リスナー的にも微妙で、「英語か日本語か」「海外か日本か」という2019年に創作活動を開始した当初からのジレンマに相変わらず悩まされていた。

 

音楽活動もTシャツデザインもずっと海外市場をメインターゲットにしてSNSも英語メインでやってきたが、海外に行ったこともなく普通に日本で生活してる身としてはそれもだんだん馬鹿らしくなっていた。

 

もう何曲かそれなりにまともにミックスした作品をリリース出来たこと、それらの制作に思いのほか時間がかかりすぎてしまい、ブログ書きなど他のことがまったく手付かずになってしまったこと、約3年間にわたる創作活動でスキルこそ身に付いたがリスナー数や収入面でまったく成果が出せないまま40歳を迎えてしまい集中力もやる気も低下してしまったこと、経済的にも精神的にも時間的にも余裕がなくなってしまったこともあり、もう凝ったことや時間のかかることはやる気にならなかった。

 

そこで手間のかかる英語の曲はやめて、「氷華」は生まれてはじめての日本語のオリジナル曲にすることにした。

 

ギターは安物のエレキを一本しか持っていなくて、ずっとエレキを使って音楽制作をしてきたが、エレキはエフェクトを掛ける必要があって音作りがめんどくさく、自宅アパートが楽器禁止のオレは重いエレキを担いで公園などで弾いてきたがそれもめんどくさくなり、「氷菓」はアコースティック向きな曲だったため、7千円の中古のアコギ(ヤマハ)を買い、それを使ってレコーディングすることにした。

 

発狂して引きこもりになった24(2005)まではアコギを持っていたが、死のうと思って身辺整理した時に愛用のテレキャスター以外の持ち物は全て捨ててしまい、その後は音楽もどうでもよくなっていた。

 

17年ぶりにアコギを手にしたオレはまずその軽さに感動した。気軽に背負ってチャリに乗ることができた。

 

いつも通りチャリに乗りながらメロディラインを考えて歌詞を書き、公園や河原、海辺で練習と仮録音をした。

 

引きこもってからはもうずっとオレの心は凍りついていて、人に対して心を閉ざすようになり、しまいには反出生主義になったり厭世的な世界観を持つようになっていったが、それでも常に明るく前向きに生きる自分を妄想したり、ネット上では明るく振る舞ったり時々はリアルでも明るめに人と接することもあって常に葛藤してきたオレはそういう凍りついた心をテーマにした歌詞を書いた。

 

歌詞は「凍りついた心」「陰と陽の2人の自分」「失恋、死別」「春になると死にたくなる心理」をミックスさせた内容になっている。2019年の春に死のうとしたが死ねず、「忘れ去られたくない」と思ったオレはこの世に作品を残すために創作活動を開始したが、その「忘れないで」という気持ちも込められている。

 

元々は冬の曲だったが、リリースが3月になりそうだったので、「冬の終わりの曲」に急遽変更し、タイトルも「冷香(ひややか)」に変更した。

 

「いつもお世話になっておりますスタジオ」で本番レコーディングをした。アコギのレコーディングは初めてだったが、ボーカルほど苦戦することはなかった。ピッキング時に小指や薬指でボディを抑える癖のあるオレはピックするときに指でボディを叩いてしまい、その音が入ってしまって録り直し、ということがよくあったが、それ以外は別段苦労することもなかった。

 

ボーカルと違って座って録る必要があったので、キャスター付きのギターアンプを部屋の中央に移動し、振動が伝わらないようにタオルを上に敷き、その上にiPhoneを乗せてiPhoneのマイクで録音した。

 

もう凝ったことはしたくなかったのでドラムもガレバンのAIドラマーで済ませ、アコギはエレキよりも低音の鳴りがいいからベースも付けずに完成させた。

 

緑の布を背景にいつも通りの手法で口パク・空ピッキングの弾き語り動画を制作し、3月頭に公開した。

 

つづく

©Hiro Kinohara
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