オリジナル曲"Amazake"を使った正月風のYouTube動画も元旦に公開したかったので、それまでに培ってきた動画制作スキルを活用して急ピッチで制作した。
動画の為に羽織を買い、ShutterStockの1ヶ月無料体験に登録し、動画に使う画像素材をダウンロードした。ギタープレイで魅せるような曲ではないので歌動画にすることにし、1年前に導入したグリーンスクリーン(クロマキー)撮影をしながら自宅アパートで口パクで歌った。
SNSにも投稿したが、2019年から使うサイトや戦略を変えていろいろやってきたが大した効果は得られず、SNS自体に疲れてしまったので、有料のYouTube広告を出すことにした。無収入だったので「春になったらロゴデザインで稼ぐ」と言い聞かせ、いつも通り分割払いでカードを使い、また借金が嵩むことになった。まだ「いざとなったら親に借りよう」という甘えがあった。
さすがに天下のYouTubeの有料広告だけあって、それ相応の効果はあった。値段相応ではなかったが、そこは自分の実力不足だと割り切った。その後もYouTube広告は財布の許容範囲内で使うことになった。(実際には許容範囲を超えてしまい自己破産するハメになった)
2021年に40歳になったオレは、正月には昔を振り返って泣くことが多く、涙腺が弱くなっていた。子供の頃のことや、人生で犯してきた罪、10年以上ほとんど誰とも関わらずに孤独に生きてきた寂しさや虚しさ、悔しさが溢れてきて泣きじゃくっていた。
親に対する恨みと「もういいじゃないか」という気持ちが対立していたが、もういろいろと復讐してきたし、4年近くずっと仕送りもしてもらってそのおかげで自由に創作活動も出来たので、母に対する罪悪感や感謝の気持ちも出てきた。これまでもたびたびそういう気持ちになることはあったが、実際に話したり会ったりするとまた怒りが込み上げてしまう。まあ親子などそんなものなんだろう。
単に謝罪の意味で母に「みんなに迷惑をかけて申し訳ない」とメールを送ったところ、自殺すると勘違いされて母から電話が来て泣かれてしまった。自殺はもうずっと考えてはいるがこの時は自殺する気はなかった。
40になることで、現実感に乏しいオレもさすがにもう子供でいられないことや、現実から目を背けて妄想や空想で誤魔化すことも通用しなくなってきたこと、親や自分の死を意識せざるを得なくなってしまったことから急に不安になりはじめ、鬱とパニック症状で飯も喉に通らず、手足の震えや動悸が起きて絶望的な状態になることが1月には何度かあった。
そんな心理状態の中、オレは双極性障害の主に躁状態を抑える炭酸リチウム(リーマス)を飲んでしまい、上記のような不安とパニックの絶望状態に陥り、自殺寸前の所までいってしまうことがあった。
そんなことがありながらも1月半ば頃には落ち着きを取り戻した。
Amazakeの制作で十数年ぶりに歌を歌ったりスタジオに行くようになり、生まれはじめて英語の歌詞のオリジナル曲を作れたオレはその勢いで2作目の英語曲"iScream"の歌入れに取り掛かった。
この曲の歌無しバージョンは2019年の冬にすでに制作・リリース済みだったが(→パート③)、まだミックス作業の勉強中に作ったということもあり手直しを入れる必要があった。しかし当時プロジェクトファイルのバックアップを取ってなくて、2021年の10月に水没させてしまったiPhone内にしかデータがなく(iPhoneだけで制作していた)、断念した。
歌無しバージョンをリリースするためにミックスダウンしたWAVファイルはiCloudにバックアップしてあったので、そのミックス済みのWAVをDAWアプリに取り込み、そこにボーカルを追加して無理矢理ミックスさせる必要があった。
Amazake同様にGoogle翻訳、Weblio、英語学習サイトの力を借りて、文法的に間違ってるであろう英語の歌詞を作成し、iPhoneのメモ帳にコピーして読み上げ機能で読ませた声を録音し、それを聴きながら発音の練習をした。
1月〜2月の寒い中、保温タイツや裏毛付きのウインドブレーカーなどで防寒対策し、チャリに乗って歌無しバージョンを聴きながらメロディラインを考えた。そして公園や河原、海辺などで歌の練習をしたりiPhoneのFL Studio Mobileでコーラスパートをメモ録りしながら作っていった。
その後、Amazakeの歌入れで利用したスタジオにまた通い、数日に分けて歌とコーラスをレコーディングした。前回の反省から、リップノイズ対策にミネラルウォーターを持参したりしていた。シャウトする部分があったりしてノリの良いポップな曲だったので、酒を飲んでテンションを上げた。
ウィンタースポーツ用の曲だった(作曲時はそんなつもりはなかった)ため、2022年の北京五輪に合わせてリリースしたかったので急ピッチでミックス作業し、少し遅れたが五輪開催中になんとかリリースすることが出来た。
この曲はギター動画にも向いてるので、歌とギターを両方撮影した動画を作ることにした。いつも通りの制作プロセスだったので時間はそんなにかからなかった。
フォロワーが全然いないTwitterでスノボや五輪関連のハッシュタグを付けてツイートしたがほとんど反応はなかった。SNSはあきらめてまたYouTube広告を出し、値段相応では無いがそこそこの効果を得た。
2022年初めはこの2曲の制作と宣伝だけやっていた。2021年秋に始めたnoteもほとんど放置していた。