紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

4年前に死にきれずに始めた創作活動の振り返り② 準備

Part①

2019(37)に創作活動を始めたわけだが、それ以前は創作系の活動はしてなかったのかというと、音楽に関しては中学でギターをはじめ、ハタチの時に作曲をし始めて、バンドをやる夢を見ていたが、ネットでいきがってハッチャケた感じの面白いメンバー募集記事を投稿して応募が来ても実際に会うとネット上のキャラを出せずにアーティストぶってクールな振りをしてしまったりして、人が苦手でコミュ障だからやりたい方向性とかもハッキリと言えず、その方向性なんかにしてもかなり悩んでいた為、自分でもどうなりたいのか分からなかったし、自分が何者で何を求めてるのかすらよく分からなくなっていた。

 

この記事に書いた通り、才ナ二ーをしまくってるくせにキレイな音楽をやることの矛盾にも苦しんでいた。

 

以前から違和感を感じていたが、相手に合わせて人格や顔つきがコロコロ変わる症状(時には女や幼児みたいになる)もこの頃にはっきりと自覚するようになり、それが恥ずかしくてオレは人に対して塞ぎがちになっていった。結局、バンドも高校時代の友人と趣味のコピーバンドをやる程度で終わってしまった。

 

演技性人格障害みたいな所があったオレは、慣れ親しんだ場や安心できる相手の前ではカリスマ的キャラを演じて面白いことを言ったりやったりして主役になれるんだが、慣れない人や苦手な人の前では一転してショボくなり、初対面でギターを弾いたり歌ったりするのもオレには無理だった。楽器屋で試し弾きして店員に話しかけられてもコミュ障になってしまってダメだった。

 

当時のバイト先でも本当の自分を出せず人間関係が嫌になり、彼女が出来ないことも嫌でたまらなくなって首を吊ったが失敗に終わり、引きこもりニートになってしまった。

 

引きこもり時代にも曲を作ったり、DTMソフトの使い方を眺めつつ自分ではまったく使わず、PCもソフトも買う金もなかったため、しょぼい性能のお下がりPCでフリーソフトを軽くいじったりしていただけだった。妄想家のオレは、DTMソフトをカッコよく使いこなす音楽プロデューサーになる妄想をしていたがただの妄想で、実際には毎日M尾系の動画をみながら千クビをいじって千ンコをしごきまくるただの変態引きこもりオタクだった。

 

次第に音楽も飽きてしまい、パソコンやプログラミングへ関心が移ってしまった為、20代後半になると曲作りもほとんどしなくなり、ギターもあまり弾かなくなってしまった。

 

それでもラジオやコンビニで同世代や下の世代の成功者の曲が流れると嫉妬し、悔しくて家の中で大声を上げたりケータイをへし折ったり壁に穴を開けたりギターをぶん投げてネックを折ったりしていた。

 

引きこもり当初はYouTubeもインスタもなく、一人で簡単に音楽配信したりも出来ず、音楽で成功するにはオーディションを受けたりライブをやったりコネを作るしかなかったが、急に子供みたいになったり人格や表情が赤の他人のものに変わってしまう症状を自覚して以降、恥ずかしくて人と関わることが出来ず、諦めざるを得なかった。MP3が台頭し、CDも売れない時代になっていった。

 

音楽やギターなんかに手を出し、無駄な努力をしてきたことに激しく怒り狂い、「こんなもんやんなきゃよかったよ!!こんなもん!!こんなもん!!」と叫びながらギターを何度も床に叩きつけて破壊した。

 

シンガーソングライターの紀伊原ひろが愛用していたテレキャスター
20歳の頃から20年近く愛用していたテレキャスター。血と涙と苦悩、怒り、性欲、嫉妬などの激しい感情が刻み込まれている。一度破壊したが修理し、限界まで使用。新しく安物のギターを買うまではこれ一本しか持っていなかった。

 

しばらく音楽から離れていたが、2017年頃にiPhoneの音楽アプリに興味を持ったりし、音楽好きの女のメル友なんかも出来たことで少しだけ音楽熱が再燃し、iPhoneのガレバンで録音したり久しぶりに作曲をやりはじめ、夏の早朝にギターの練習を兼ねて即興で朝蓮(朝顔 + 朝練)という歌無し曲を作ったりしていた👇🏻


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前述の通りレコーディングスタジオにすら行ったことがないまま引きこもりのキモオタになってしまい、DTMソフトもPCも買えなかった為レコーディングやミキシング、マスタリングに関しては全くの素人だった。せいぜい、4トラックのカセットMTRで多重録音をしたことがあるくらいだった。

 

ギターは中学時代から弾いていたが、バンドもライブもやったことがなく、エフェクターすらまともに使ったことはなかった。単に曲を作るのが好きなだけだったらしい。

 

そんなわけで、2019年には作曲以外はズブの素人の状態で音楽活動を再開することとなった。

 

詩に関しては音楽と同様にハタチから書いていたし、音楽を辞めていた時代もブログに詩や詩のような不思議な文章を書いて女子高生や女子大生に人気があった。女を見ると本当に興奮してしまう。

 

絵やデザインに関しては描くこと自体は子供の頃から好きで漫画家もなりたい職業の一つだったが、しょせんは落書き程度しか書けず、音楽の道に向かったため本格的に絵の練習したことはなかった。

 

ペイント系のソフトは引きこもり時代にちょくちょく使っていて、有名なフリーソフトのGimpなんかも使っていた。レイヤーなどの基本概念だけは押さえていたが、ほぼ素人だったし、ペンタブを使うほど本格的には使わずマウス操作だった。音楽ソフト同様に、3DCGとかの難しそうなソフトを使う妄想だけしていて、「CGをやるならパソコンはこういう構成にして〜」みたいに机上の皮算用と妄想に耽っていた。いつも何も行動せずに妄想だけで終わってしまう。

 

2012年頃には自分のプロフ画像の為のロゴを作ったり、アイデアだけの架空のアプリや会社を妄想の中で作り、それらのロゴを紙のノートに書いたりしていて、その頃にロゴデザインの才能があることに気づいた。

 

ロゴデザインで使うためのベクター描画系ソフト(Adobe illustratorなど)は使ったことがなく、概念も全く分からない状態で2019年にVectornatorという、ベクター系の無料アプリの使い方を学び始めた。

 

つづく

 

 

©Hiro Kinohara
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