紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

4年前に死にきれずに始めた創作活動の振り返り18 - チャリに乗り始めた2021年春

パート17

春は普通の人にとっては穏やかな陽気で花もキレイで気持ち良い季節なのかもしれないし、気候の面だけ見れば確かにオレも春は好きなのだが、春には「新生活」的な緊張感が漂い、初対面が苦手すぎたり環境が変わると不安で落ち着かなくなり、自分自身の生活環境は何も変わらなくても世間の空気や他人の感情がダイレクトに入り込んできて「自分軸」の無いオレは、春になるとソワソワと落ち着かなくなり、不安や焦燥感に駆られる。

 

春の晴れた日の平日昼間に家にいると死にたくなってしまうため、春は毎年外に出かけることが多い。

 

春の陽気の中で芝生に寝っ転がって昼寝していると、幼少の頃のぼんやりとした思い出に包まれ、働く義務もなく世間体を気にする必要もなかった純粋無垢な幼児期の幸福感を追体験する。あらゆる幸福を一点に凝縮したような、オルガズムが永遠に続き世界と一体になったような、いわばニルヴァーナの心境ともいえる感覚に包まれる。

 

覚せい剤などの薬物を接種すると、こういう恍惚感に浸れるようだが、双極性障害やてんかん患者などは薬物を使わなくてもこういう感覚になることがあるようで、てんかんを患っていたロシアの文豪ドストエフスキーの小説にもこの感覚を描写した場面がたびたび出てくる。


90年代アメリカのバンド「ニルヴァーナ」のカート・コバーンも双極性障害だったらしく、そんなコバーンがこのバンド名を付けたのも偶然ではないのだろう。

 

天界に昇るようなこの幸福に永遠に浸っていたいという気持ちと、この夢から覚めたらまた社会的な仮面を被って新生活の緊張に晒されなくてはいけないという現実への拒絶感が入り混じり、うつ状態の「死にたい」とはまた別の希死念慮に襲われる。絶望的な自殺願望というよりは、「喜んであの世に行きたい」「天国に吸い込まれたい」という感覚。

 

春は自殺が多い季節だが、実際に飛び降りたり飛び込んだりして命を落とした人の中にはこういう感覚、一種のトランス状態になって吸い込まれるように飛んだ人もいるのだろう。オレ自身、そういう風に飛びそうになったことも何度かあった。

 

2019年の春にも自殺しそうな状態にあったが、恐怖心もあって踏み止まり、その後この創作活動を開始した。

 

2005年に自殺未遂をし、引きこもりになってからは中古で買った車も売り、免許も失効して移動手段は徒歩になった。引きこもりとはいえ、家には居づらかったので往復4時間から時には810時間くらいの長時間の散歩(というよりは巡礼に近い)に出かけることが多かった。チャリくらいは買えたが、哲学や妄想、空想に浸りながら歩くのが好きで、ADHD全開でキョロキョロしながら歩き、古い建物などを眺めていると脳内に古い時代の光景が広がったりして、そういうのに没頭するのが好きだったが、側から見たらただの不審者だった。

 

2010年からはときどき短期・単発のバイトをしてて、チャリを買ったり原付の免許を取ったり中古の原チャリを買うくらいの金はあったが、もうずっと死ぬことしか考えていなく、新しく物を買う気にもなれなかった。その後は外出もあまりしなくなり、廃人のようになっていた。

 

そんなわけで15年くらい車やバイクはおろかチャリすら乗らない生活で、創作活動を開始した2019年の春からの2年間もごく稀に電車に乗って気分転換する以外は徒歩圏内の公園やスーパー、河原くらいにしか外出もせず、人間関係も全く無く、世捨て人か仙人のようになって創作に没頭してきたのだが、世間の目が気になったりするし気分的にもうんざりしてきたので、オレのことを見たことがある人間が誰も居ない場所へ行きたかった。

 

実際にはほとんど誰もオレのことなんて気にしてないのだが、元々自意識過剰な上ここ数年で統合失調症のパラノイド症状が出てきたし、近所の路上で一人で幼稚で馬鹿な目立つ行動をして来たから恥ずかしくて近所には居ずらくなってしまった。自宅アパートは楽器禁止なので徒歩圏内の公園でギターを弾いていたがそれも目立つので恥ずかしかった。

 

自宅アパートでも隣の部屋の親父がするデカい咳を真似してやり返したり、ときどき大声を上げてキガイ認定されてしまい、居ずらくなってしまった。

 

Part⑦に書いたが、一昨年の春はコロナでアパートの隣のオヤジも自宅に居たり、逆隣の引きこもりも発情期とコロナのストレスで苛立っていて壁をドンッとやってきたり、オレ自身も発情期とコロナストレスでおかしくなっていたが、2021年の春は一昨年ほどではないにせよ、同じような状況であった。

 

ただでさえ春の晴れた日の平日昼間に家にいると自殺したくなってしまうのに上記のような事情もあり、自宅や近所から離れて羽を伸ばしたくなり、12千円の安い小型のチャリを買った。

 

久しぶりにチャリに乗ったオレはワクワクしてギターを背負っていろんなところに行きまくった。時には電車で30分くらいかかるような場所へも行った。

 

移動エリアが広くなったので、落ち着いてギターを弾けそうな公園をチェックしていた。

 

桜が散る頃、「パステル・レイン」という、春の雨をテーマにした曲を公園で作曲し、そのまますぐにギターをiPhoneに繋いで録音した。その後ベースと、雨を表現したパーカッションをGarageBandで打ち込んだ。

 

 一昨年の秋に「凝ったことはやらずに1作品ごとに割く時間を削減しよう」と決めたにもかかわらず、冬になると前回紹介した「Cold Cheese」でまたしても時間をかけすぎてしまったため、今回は凝りすぎて時間を掛けすぎないように気を付けた。パーカッションは多少凝ってしまったが、EQなどもあんまりいじらずに1週間以内で仕上げた。

 

ギター動画を自宅で撮ることも考えたが、家に居たくないし、チャリも買ったのでどうせなら舞い散る桜をバックに撮影したいと考えて出掛けたが、先日に降った雨で桜はほとんど散ってしまっていた。

 

場所を探してウロウロしている内にまた雨がパラパラと降り出したが、曲のテーマが春の雨だったのでそのまま決行することにした。

 

ラップ調のボーカルを入れたかったが、これまでの経験上それをやってたら夏になってしまうと思い、例によって歌が無いインスト曲のまま公開した。

 

春に制作した作品はこれだけで、デザイン業のほうも完全に放置していた。あとは今後の戦略などを考えたり、何もやる気が起きずに公園でボーッとしたり同じことを何度も繰り返して一日が終わってしまうことも多かった。自殺したくなりがちな春だが、2021年の春はあまり希死念慮はなく、まだ創作活動に対するやる気と執念があった。

 

いろんなことに手を出し過ぎて、2年間の創作活動でほとんど成果を得られなかったため、もっとやることを絞る必要に迫られていた。ずっと母に仕送りしてもらっていたが、いい加減金を稼がなくてはいけず、焦っていた。悩んだ結果、とりあえずTシャツデザインとショップに関しては完全に打ち切りにして放置することにした。

 

2021年はちょうど40歳になる年だったので、それを記念して「誕生日ロゴ」シリーズ(以前から計画していて何作品かはすでに作ってあった)に着手して、それだけに専念して年内に全種類制作してステッカーやTシャツにして販売しようとも考えたが、ADHDの無計画性のおかげで散々失敗してきたことを考えると無謀だなと判断した。

REDBUBBLE で販売中の「10.31 さそり座 ハロウィンロゴ」Tシャツ
Tシャツとステッカーが何枚か売れた

 

実際、全種類制作してさらにSNSなどで宣伝しまくって売れるようになるまでには少なくとも2年は見積もる必要があったので好判断(ADHDじゃない人からすれば当たり前の判断)であった。

 

金を稼がなくてはいけなかったオレは、前から挑戦しようと思っていたロゴデザインを受注する仕事はまだ先送りにして、2021年は音楽に専念することにした。元々は音楽で稼ぐ気なんてさらさらなく諦めていて、稼げない音楽の代わりにロゴデザインやベクター系のイラストのスキルを習得したのだが、ただのギタープレイ動画でYouTubeの収益化が出来てる人間を見てる内に、オレも収益化出来るかもしれないという気になっていた。

 

つづく

©Hiro Kinohara
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