紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

4年前に死にきれずに始めた創作活動の振り返り14 - 反省だらけの2020年秋

 

パート13

2020年の春夏に稚拙で毒のある作品を作って批判されたり、反出生主義や反資本主義的な投稿をしても反応が薄かったりするなどして、自分と普通の人間との間にある溝を痛烈に感じて価値観が揺らぎ、秋になっても1年半に及ぶ音楽とデザイン活動の成果が出せず、完成させられた作品数も計画していたのよりも全然少なくて自暴自棄になり、SNSでの見栄の張り合いや社交辞令、お世辞にもうんざりしていたオレはいろんなことを見直す必要に迫られていた。

 

考え方や生き方的なことに関しては常に迷いや混乱、葛藤を抱いている(性に関しては特に)が、中でも2020年はかなり混乱した年であった。

 

自分で作曲も演奏もアレンジも動画制作も全部やり、それでもイイネやフォローも大して伸びず、その一方で単に他人が作った曲を演奏するだけの普通人(特に見た目の良い女)の動画にイイネが付きまくってるのを見ると、ただでさえ価値観が揺らいで自暴自棄になっていたオレは自分の全てが世界に拒絶されたような、今までの人生で考え感じてきたこと全てが間違っていたかのような気持ちになっていた。

 

普通の人間には思いつかないアイデアもたくさん浮かぶのに、そのせいでいろんなことに手を出しすぎたり、全てが中途半端になりフォロワーも伸びず、独創的であるが故にSEOやマーケティングのルールなんかも無視して独自路線でやってしまい、なかなか成果が出せない。独創的で少数派な人間であるが故に孤独感を感じ、周りの多数派な人間と比較してしまって自尊心が崩壊しやすく、自暴自棄になって物事を投げ出してしまう。(自尊心の高い独創犯もいる)

 

逆に、何の独創性もない普通の人間はアイデアも思いつかないから一つのことに集中出来たり、人の真似しか出来ないからルール通りSEOに従ったり、人の真似をして #弾いてみたなどのハッシュタグを付けてリーチ数を伸ばしたりしている。(オレは「てみた」が嫌いだから使わない。)同じような人間がたくさんいるから才能も無いくせに自尊心が崩壊することもなく、物事を投げ出さずに続けることが出来る。

 

こういうことにうんざりして、普通の人間が憎くなり、普通の人間が圧倒的多数なこの世界自体がどうでもよくなり、「どうせオレなんて」と言って酒を飲んだくれ、自滅的になったオレは、当時二人いたLINE友達の女に、下ネタや女に対する侮辱、憎しみと敵意に満ちた発言(人間は全てゴミだから妊婦の腹を蹴ってガキもろとも殺してやりたい、等)や愚痴など、不快にさせるような内容のメッセージを送りまくり、怒られたり一時的にブロックされたりしてしまった。

 

SNSもあっちこっちやりすぎて一つ一つに割く時間が少なくてフォロワーを伸ばせなかったのでSNS戦略も見直す必要があった。

 

Facebookとインスタをやっていたが、Facebookはもう落ち目で爺さん婆さんしかいなく、アルゴリズムも変わってしまったので辞めようと思っていたが、当時頭角を現してきたShopifyTシャツを販売しようと考えていて、Shopifyの商品をFacebookページで直接販売出来るFacebookショップ機能が追加されたことを知り、ページは残すことにした。

 

元々音楽とデザインの宣伝の為に登録したFacebookだったが、音楽とデザインに直接関係のないグループまで参加していて、そこに注目を引く投稿やコメントをして存在をアピールし、自分のページを見てもらおうという間接的で遠回りな戦略を取っていたが、もっと人に対して直接的にアプローチして、リンクを踏むように催促したりして積極的にならないとダメだとシビアに考えるようになり、そういう間接的な戦略は辞めることにした。グループ機能自体、使うのを辞めた。

 

インスタは投稿に対する反応はそれなりにあり最初は浮かれていたが、実際にはほとんどが足跡つけて自己宣伝するのが目的の偽イイネだし、拡散機能もなく、投稿にYouTubeリンクなども埋められないため辞めたくなってしまった。

 

やはり拡散性のあるTwitterをやるべきだと思い、炎上ニュースなどで怖がっていたTwitterを試験的に導入したが、胸糞悪くなったり嫉妬心を煽るツイートばかり見せられるのが嫌になり、人をぶっ殺したくなってしまうので精神衛生的に良くないなと思い、すぐに辞めてしまった。ボットもウザかった。なんだかんだでインスタは居心地は悪くなかったので続けることにした。

 

当時勢いを増してたTikTokもやったが、いきなり馬鹿な女がゴミみたいなダンスを踊っていて顔面を思いっきりぶん殴りたくなったので辞めることにした。ああいう見た目だけの糞女は金で買えばいいし、ババアになったらドブにでも捨てると良い。中国が嫌いな人はあんな臭いアプリは使わないほうがいい。

 

www.kiinote.com

 

ストーリーズの為に写真や動画を撮ったりネタを考えるというのも元々の趣旨から逸脱していたため、辞めることにした。他人のストーリー投稿も興味がなかったし、友達も彼女もいないオレは楽しそうな写真を見せられても嫉妬するだけだった。

 

SNSだけでなく、創作のほうもあれこれやろうとし過ぎたり、いちいち凝ったことをやろうとしたり細部にこだわってしまっていた為、見直す必要があった。

 

アイデアが豊富で一つのことに集中出来ず、注意散漫で何にでも興味を示すような「広く浅く」タイプであるADHDのオレは、創作を開始した2019年からずっと「広く浅くのスペシャリスト」になることを目指していた。

 

だが実際に何かに着手するとついつい難しいことをやろうとしたり考えすぎたり凝ったことをやろうとしたりしていた。それでいて結局は中途半端な状態で飽きてしまい、決して「狭く深く」なタイプにもなりきれないということをこの1年半で痛感したオレとしては、あまり凝ったことをやろうとせず、ロゴデザインやポエムのようにインスピレーションが冷めないうちにパパッと作れるようなことだけをやる必要があると考えた。

 

ギターを手に取って適当に弾いてる内にフロー状態になっていき、5分〜10分くらいで新しい曲を作ったり、時にはかなり良い感じの即興演奏をしたりするが、その後でチューニングしてギターをiPhoneにつないでいざ録音しようとしてもどうやって弾いたか忘れてたり、上手く演奏出来なかったりするから、アイデアが浮かんだりフロー状態に入った瞬間にすぐ録音出来るように、ギターを弾き始める前にちゃんとチューニングしてiPhoneに繋いでおくことにした。

 

ブログのネタや面白い言い回し、言葉遊びなんかにしてもすぐにメモ出来るようにメモ帳を常備することにした。

 

オレに取ってはウォーミングアップが本番で、後で改めてやろうとしてもその時にはすでに飽きてるパターンがほとんどだった(急にかなり昔のアイデアに取り掛かりたくなったりすることもあるが。そんな自分のことを、アーティストでもミュージシャンでもデザイナーでもなく「インスピレーショニスト」と呼ぶことにした。

 

凝ったことをやらず、インスピレーションが冷めない内にパパッと作品を仕上げ、他のことをやる時間を確保する。そうやって広く浅くいろんなことをやる「広く浅くのスペシャリスト」を目指すことにした。

 

凝ったことをやろうとせずに一つ一つのプロジェクトに割く時間を短縮するようにしたとはいえ、それでもあまりにも多くのことをやると今までの失敗を繰り返すだけなので、どの道やることを絞る必要に迫られた。

 

とりあえず街中で撮った写真を加工したりミックスして作った写真アートみたいなのや、くだらないネタ画像みたいなのは、Facebookグループやストーリーズを辞めると同時に辞めることにした。その写真アートと、哲学 / 考察系のイラストや動画を投稿をする為に「Kinoco Art」という名のFacebookページやYouTubeチャンネル(→Part )もやっていたが音楽とデザインにタスクを絞るために閉鎖した。閉鎖する前に自暴自棄になって描いた汚い落書きを投稿しまくっていた。

 

2年半もアパート代を仕送りしてもらっていて、2013年に少しやっていた日雇い派遣以来、障害年金以外には7年間まったく収入のなかったオレはとにかく金を稼がなくてはいけなかった。「広浅(ひろあさ)スペシャリスト」として稼げるようになるにはまだ何年も掛かりそうだった為、一旦ロゴデザインだけに専念して金を稼ぐか、このまま仕送りに甘えて好き勝手わがままにやりたいことだけやるか迷っていたが、甘えん坊のオレは母にはもうしばらく我慢してもらい、やりたいことだけやることにした。

 

オレの母は世話好きというかおせっかいで過干渉なタイプで、世話を焼くことで相手に依存するのだが、本人は依存してる自覚がない。看護師などにそういうタイプの女が多そうだが、ハタから見ると世話を焼かれてる側が依存してるように見えるが、実際には共依存である。そんなわけで、オレが自立してしまったら依存相手が居なくなっちゃうからまあいいだろうという考えもあったし、いざ追い込まれればさすがに現実感に乏しい解離性障害のオレも現実的になって金を稼ぐ為に動き出すだろうという考えもあった。

 

作品をこの世に残して自殺して、画家のゴッホのように死後に評価されるというのが元々の目的だったこともあり、金なんて稼ぐ気にはあまりなれずにいた。

 

20代後半から30代前半までの大部分の期間、実家に寄生してニートをしてたり、その後一人暮らししてからも障害年金と仕送りを貰いながら好き勝手やりたいことだけやっている事に罪悪感を抱くこともあったが、不向きな普通の仕事は二度としたくなかったし、無理に普通の仕事してもまた発狂したり犯罪者になるだけだから、それなら今のままのほうが自分的にも家族的にも治安維持の為にも良いだろうと思ったし、ニート時代と違って本当にいろいろ努力してきた(平日の昼間っから酒飲んで才ナ二一やドラクエをやって堕落する日もあったが)からまあいいだろうと考えた。活動開始からこれまでの1年半は、国から金を貰って職業訓練(基金訓練)を受けていたようなもの、と捉えることにした。

 

つづく

©Hiro Kinohara
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