紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

4年前に死にきれずに始めた創作活動の振り返り12 - 自暴自棄な2020年秋とSNS

 

パート11

 

音楽とデザインの創作活動を開始して1年以上経ったがTシャツが1枚売れただけで、まともな結果は得られなかった。

 

継続は力なりとは言うが、ただでさえ物事をすぐに投げ出しがちだったり、我慢が出来ずにすぐに結果を出せなきゃ気が済まなかったり、感情の波が激しくちょっと嫌なことや失敗があるとすぐに自尊心が崩壊して自暴自棄になってしまうADHD + 双極性障害のオレとしてはけっこう頑張ってきたと思うし、それだけに1年ちょっとやっても全くと言っていいほど何の結果も出せなかったのは自滅的にならざるを得なかった。

 

パート⑦で書いたように、コロナによるストレスも精神的な悪影響を及ぼした。

 

インスタやFacebookでも特に2020年に入ってからは、興味が無いどころか嫉妬心さえ引き起こす他人の投稿やストーリーズにリアクションしたりして時間も割いてきたが、それでもフォロワーは200300人程度止まりだった。

 

敗因としてはとにかくADHDの悪い癖でいきなり色んなことに一度に着手しまってきたことが真っ先に挙げられる。それから、そういう色んなことを一つのアカウントやFacebookページでやってしまい、ごちゃごちゃして何をやってる人なのか分からないこと(自分でもたびたび何がしたいのか分からなくなる

 

ここまではいわゆる「ADHDあるある」だが、オレの個人的な失敗要因としては海外や外国人をメインターゲットにしてしまった、というのがある。

 

これもパート③や⑤にも書いたが、オレには日本社会や日本語が肌に合わず(ただでさえ社会不適合な発達障害にとって、欧米以上に"普通であること"が強いられる東アジア圏はより一層生きづらい)、そのせいか昔から音楽や映画も洋物ばっかりだった(AVは和物メインだったが)

 

そして日本にうんざりして海外に居場所を求めたのだが、そうすると今度は差別される羽目になる。前にも書いたがチャイナ・ウイルスのおかげでアジア人差別も強まってしまい、海外で活動するには時期が悪すぎた。

 

人や物事に対する「好き・嫌い」感情がちょっとしたきっかけで一気に極端に傾くなど、物事を「100か」で判断してしまいがちな境界性パーソナリティ気質が抜けきらないオレは、ちょっと白人に否定的なコメントなんかをされると極端に「白人は全員差別主義者のゴミ」みたいになり、逆に「日本最高ですわい」と極端に価値観が変わってしまう。

 

そんなわけで海外をメインターゲットにしたこと自体もさることながら、そういうふうに日本と海外どっち付かずなのも中途半端でダメだったのかもしれない。

 

YouTubeは字幕や説明文を多言語で投稿出来て、アクセス元の地域やユーザーの使用言語に対応した言語のページが表示される仕組みだが、インスタやツイッターは翻訳機能があるとはいえ投稿自体はあくまで一つの言語で投稿することになる。視聴者は投稿の下にある翻訳ボタンを押して翻訳してから読むことになる。

 

日本語で投稿するとやっぱり差別意識や部外者意識が沸いてしまう。(中東アジア人がアラビア文字を使う場合と英語を使う場合のどっちが印象が良いか想像してみよう)

 

それだけでなく、投稿の言語が日本語だとそもそも海外ユーザーのタイムラインや検索結果、おすすめ、ディスカバリーなどに表示されなかったりする。

 

逆に英語だと日本人ユーザーには表示されなかったりするため、英語と日本語のジレンマ

にはこれを書いている20231月現在まで常に悩まされ続けてきた。(全てのサイトでYouTubeのようにプロフもコンテンツも多言語化出来るようにならない限りはこれからも悩まされ続ける)

 

結局、英語を最初に書いてその下に日本語を書くということにした。(普通は逆だがグローバル言語の英語を優先した。だがそれも不完全で、サイトによっては文章に日本語が混じってると日本語の投稿として処理されてしまったり、逆のパターンもあったりして、上記の通り日本と海外どっち付かずな二兎追い運用が却ってアダになった部分は否めない。

 

日本語アカウントと英語アカウントを二つ設けることも考えたが、管理するのが大変だし、それぞれでフォロワー数やいいね数を気にしなくてはいけない(気になってしまう)のも嫌だった。音楽(と一つのSNS)しかやってなければそれでも良かったが、ただでさえいろいろやっている器用貧乏なオレには現実的ではなかった。

 

結局、全ての活動が中途半端だった為、ほとんど何の成果も出せないまま活動開始から1年半近く経過してしまった。

 

ADHDの欠点がモロに出てしまい、「オレは何をやってもダメ。ただのゴミ。」と言って自暴自棄になり、酒やタバコの量も増えた。自虐的な才ナ二一にも耽りまくった。

 

ADHDであるが故にいろんなアイデアを思いつくのだが、皮肉にも思いつくが故に新しいアイデアに興味が移り、今やってることを放棄してしまう。そうやっていろんなことに無計画に見切り発車で着手してしまい、全てが中途半端になってしまう。

 

一つの事と、せいぜい2つまでのSNSやブログくらいに集中していれば確実にもっといい成果は出せていたはず。少なくともインスタのフォロワー4桁は行けただろうし、YouTubeの収益化可能になる登録者数である1000人とまではいかなくとも、1年半もあれば500人以上は行けたと思う。

 

あとはやっぱり創作活動をやり始める前の若かった時代に人間関係を壊してきちゃったり、ネットで中傷し合ったりしてきてすっかり世の中やネットが嫌になって怖くなってしまい、人に対して積極的になれなくなってしまったっていうのも敗因の一つだった。フォロワーやイイネ数を増やしたいんだけど、あんまり目立ったり拡散されたり露出を増やすのは怖いというジレンマを常に抱えていた。

 

まったく収入もなく、2年半前の2018年春に一人暮らしを始めて以来ずっと母から家賃光熱費を仕送りしてもらい、残りの生活費を障害年金で賄っていた。母からは常に少しでもいいから仕事をするようにと催促され続けてきたが創作系以外の一般労働はもう二度とする気もなく、人と関わらないことで妄想症状や自律神経も悪化したため、普通の仕事に就くこと自体困難だった。

 

仕事とは言えないかもしれないが、YouTube Spotifyの収益化を目指してたり、Tシャツデザインも収入を得る為に頑張って時には夜中まで作業して努力していたが、母はパソコンもスマホも持たない人間で、YouTubeとかクラウドソーシングの話なんてしても分からないし、恥ずかしいからYouTubeチャンネルや自分の音楽を家族に聴かれたくなかったからそれを見せることも出来なかった。

 

そのため、母と電話するといつもオレがまったく(実家ニート時代同様に)何も活動してないかのように言われるのでブチキレそうになったが、以前なら「仕事してるって言ってるだろ!!」とキレて電話を壁に投げつけたりしてただろうが、実家に居た時代にさんざん壁を破壊したり部屋でわめいたりカーテンに火をつけたり父親を殴ったりしたため、悔しかったがぐっと堪えた。そもそも親が死ねばもうそうやって怒りをぶつけることも出来ない。若いうちに親を亡くした人もたくさんいるわけで、いい加減親の言うことなんて無視して大人にならなくてはいけないと自分に言い聞かせた。

 

一応、7月にTシャツが売れたという嘘偽りのない報告は出来たが、まともな収入ではないのであまり意味はなかった。「9月になったら今までTシャツ用に作った作品を履歴書代わりにして、デザインの仕事を直接受注することにする」と報告しておいたが、あんまり意味も伝わってなかっただろうし、以前からもそういうことを言ってきたので「前からそう言ってるけど難しいでしょう」と返されてしまった。

 

「本気で稼ごうとはしてなかった。稼げない音楽のほうに力を入れすぎた。一度にいろいろやりすぎた。」などと言い訳をした。実際のところ、金を稼ぐことよりも作品(特に音楽)をこの世に残して自殺する目的で始めた活動であったが、そんなことはもちろん言えなかった。

 

だが活動開始から一年半、家賃の仕送り開始からは二年半が経ち、さすがにまとまった収入が必要だと考えたオレは、電話で母に伝えた通り実際にデザインを受注する仕事をやろうと考えていた。

 

だがまだまだ形にしたい曲がたくさんあったどころか、それまでの1年半はむしろレコーディングやミキシング、音楽動画制作のスキルを身につけてきた期間で、これからが本番という感じだったし、ブログや哲学系のYouTubeもやりたかったりして、頭を切り替えられないADHDのオレはデザイン受注業務をもう少し先延ばしすることにした。

 

先延ばしにした理由は単に頭を切り替えられないからだけではなく、人と直接やり取りするのが怖かったからでもある。音楽配信やTシャツ販売は直接人と関わることなく期限やノルマもなく自由にやれたし、クオリティ面でも妥協することが出来た。(線が2ピクセルくらいはみ出してるけど拡大しないと分からないからいいや、みたいな)

 

直接クライアントから受注するとなると責任が問われるし、対面や電話ではなくメールとはいえ苦手すぎるビジネス会話をしなくてはいけないし、人怖いし、最近は人々の心に余裕がなくてネットのせいで悪意と猜疑心が蔓延しちゃってるから余計に怖くてキモいし、業界標準のファイル形式であるAIPSDで書き出したり表示の確認をするためにillustratorPhotoshopを導入する必要があって金かかるからやる気が起きなかった。収入が無くても生活出来ている状況にすっかり甘えていた。

 

つづく

 

©Hiro Kinohara
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