紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

4年前に死にきれずに始めた創作活動の振り返り11 - 里帰りと積乱雲の2020年夏

Part⑩

この夏オレはギターを背負って、首都圏の端っこにある生まれ故郷へ里帰りした。東京駅から電車とバスで1時間半ちょっとかかる場所に位置するこの町(というか村に近い)は戦後のバブル期に山を削って開拓された町で、細い路地やマンションもなく、整然と区分けされた区画に一戸建ての家屋が並んでいる。

 

徒歩圏内には店もほとんどなく、町中に唯一ある小さな商店街があるだけだ。電車の駅までは徒歩だと3040分くらいかかるため、バスや車を使う必要があった。

 

山のふもとを削った土地な為、近くには山があった。車で30分以内で海岸にも出れた。

 

想像力と創造性を培った公園と裏山

 

山の向こうの太平洋から吹く潮風の香りと、首都圏や工業地帯特有の香りがブレンドされた匂い(オレはこれを"太平洋ベルト臭"と呼んでいる)、そこに森林の香りを少々加えた匂いを嗅ぎながら育った。

 

五感すべてが敏感なオレはこの匂いがないと落ち着かない体になってしまった。

 

13才の時から英米の音楽を聴いて憧れていたオレは、ほんのりと香る潮風の香りを嗅ぎながら東の空を見上げ、太平洋の向こうのアメリカ西海岸へ想いを馳せていた。ジミ・ヘンドリクスやニルバナーナを輩出したシアトル、高校時代によく聴いていた西海岸パンクロックやレッド・ホット・チリペッパーズのカリフォルニア。

 

田舎者のオレはニューヨークやロンドンよりも、西海岸や英国マンチェスターの音楽を好み、大都会に対する憧れは持たなかった。夜景は好きだが、住みたいとは思わなかった。今はより都会な街に住んでいるが、神経過敏でストレス耐性のないオレは都会や現代社会が合わないから田舎に引っ越して牛や馬、鹿などを食べながらのんびりと優雅に、それでいてどこか馬鹿らしくもある生活を送りたいと思っている。

 

地元には会いたくない人間もいるため、グラサンをかけて出掛けたが、夏だったので違和感はなかった。

 

 

ガラガラの列車の中でギターを弾いていた

 

帰郷中のバスの中では女子高生の後ろの席に座った。ほんのりと香る女子高生の髪の匂いを嗅ぎながら、同じバスで高校に通っていた20年前を懐かしんでいた。

 

女子高生はバスの終点の、オレの生まれた町まで乗っていた。同じ村の出身者の、もしかしたら知り合いの娘かもしれない女子高生に話しかけたかったが勇気がなく、仲良くなって公園でデートする妄想で終わってしまった。今のオレなら話しかけていたかもしれない。幼稚園の頃から女の子の後を追いかける性癖のあったオレは追いかけようとしたが、人が少ない町で目立つため断念した。

 

店も何もない退屈な町中を歩き回った。オレにとっては懐かしくて輝かしい思い出でいっぱいの町だが、町人から見ればオレは平日の昼間にウロウロしている挙動不審な人物でしかなかった。怪しい者ではないと証明するために子供の頃の写真をiPhoneに入れてくればよかったと後悔しながら、懐かしい、良い思い出も嫌な思い出もある出身中学校の前を通ると花壇を整備していた爺さんがいたので話しかけた。とりあえずこの学校の出身者だと自己紹介し、相変わらず田舎だな〜みたいな話や少子化の話をしていた。少子化の影響で2つあった小学校は1つに統合されていた。

 

想像力と創造性を養った公園のベンチに座り、タバコをふかしながら昔を懐かしんだ。よく柵越えジャンプして遊んでいたブランコの柵の位置も遠ざけられ、すっかり過保護仕様になっていた。

 

この町でオレは自分が発達障害であることもつゆ知らず、周りの人間との違和感をなんとなく感じながら生きていた。ADHDをこじらせて境界性パーソナリティ障害に発展させてしまったオレは「あの時から治療してればなあ」なんて考えていた。

 

公園では何人かの子供とその母親たちがいた。昔はもっと賑わっていた町と公園だが、今ではすっかり老人ばかりになっていた。知り合いかもしれないと思い、公園にいた親たちに話しかけようか迷ったが、38歳の独身で子供もいなくて収入も無い負け組のオレは順当に人生を歩めた人間に対するコンプレックスがあり、話しかけても相手と自分を比較してみじめな気持ちになるだけだろうと思い、辞めた。

 

彼女らは同窓生だったのか、それとも40年前のオレの親と同じように他所から引っ越してきたのか。今度また帰郷したときには人に話しかけまくってみようと思っているが、見栄っ張りなオレは漫画「バガボンド」の又八のようにどうせ余計な嘘をついてしまうのだろう。

 

基本的には純粋な気持ちで昔を懐かしんでいたが、同窓の女と久しぶりに会って世ックスをする妄想なんかもしていた。

 

公園で軽くギターを弾き、帰路についた。

 

 

この夏は各地で記録的な集中豪雨が発生し、雲が異様に発達する日が多かった。

 

2020年8月27日に撮影した積乱雲
2020年8月27日に撮影した積乱雲

 

同日のすごい雲 (東京)

ADHDなオレの頭の中は常にこんな感じである

 

感受性に乏しい普通の人たちは普通にスルーして淡々と歩いていたが、子供の頃にトラウマ的な状況下で人格の一部を心の奥に封印したオレは、大人になった今でも心の一部が子供のままで、こういう雲を見たり、雪が降ったりすると絵本の世界にいるような感覚になり、年甲斐もなく興奮してしまい、写真を撮りまくった。

 

その後、いくつになっても子供のままの自分を嫌悪し、普通の人間と比較して鬱状態になっていた。

 

オレが雲や花や風景に見入ってしまうのは、オレの脳が物事を認識する際に言語を処理する左脳よりも音や視覚的な情報を処理する右脳を優先的に使っているらしい、という理由もある。これについては別の記事に書くことにする。

 

とにもかくにも雲がすごかった2020年の夏であった。

つづく

©Hiro Kinohara
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