ADHDの母親とアスペルガーの父親の間に生まれたオレは子供じみた頃からADHDとアスペルガー(ASD)の両方の性質を食べていた。
どちらかと言うまでもなくADHDの性質の方が強かった、とみせかけてADHDの症状の方が目立ちやすいからそう思うだけなのかも知れない。
Wikiぺディアによると、ADHD、特に男児や、落ち着きのなさや衝動性が表出しやすいタイプの女児は叱られたり引っ叩かれたり怪我をしたりレイプされやすく、脳にダメージを負い、二次的にPTSDや解離性障害、境界性パーソナリティ障害などを発症したり、非行に走ったり自尊心が崩壊して自虐的で悲観的な性格になったりヤクザになったりAVに出たりしやすいらしい。また、ドーパミンやアドレナリンなどが馬鹿げていて、ギャンブルやセックス、ドモホルンリンクルなどの依存物質にも依存しやすいらしい。
オレ自身、子供の頃はよく父親に引っ叩かれたし、母親にも踏み潰されたりして脚フェ千になったりドMな性格になり、悲観的で心配性で自虐的なロゴデザイナーになっていった。
不注意で頭をぶつける怪我(縫ったこともある)をすることがよくあり、PTSD的な症状が出るようになった。怪我の影響なのか他のことが原因なのか分からないが、おそらく二次的に解離性障害も発症した。
自意識過剰からくる不安障害や会食恐怖症、赤面恐怖などにも悩まされた。
周りの人間との違いに悩み、感受性が強く五感が過敏でちょっとしたことで大げさにビックリしたり大声をあげそうになったり周りが気になって気になって仕方がなく、BOOKOFFの狭い通路や、混んでいるスーパーなどではオレだけが常に背後を気にして人と接触しないように気を付けたりし、人と道ですれ違う時もいつも50メートル手前で自分の方から先に譲ってしまっていた。
そんなオレは物事に動じない図太い人間や、感受性に乏しいスカした男なんかを思いっきりぶん殴りたいと思って生きてきた。淡々とした感じの女なんかもムカついてしょうがなかった。
だが普通の奴らは普通に普通な感じで普通にルールにさえ従ってればいいみたいに生きていてかなり馬鹿っぽく、自分の中の「普通、当たり前」も世間一般では普通ではなく、いつか普通の奴らを見返してやりたいと思いながら屁をこいていた。
性欲もすさまじく、基本的には真面目ぶっているキリスト教徒でもなんでもないオレはお母さんの言うことを聞いて真面目に生きるか、AVに出て腰をヘコヘコと前後左右に操作する作業員になるか、激しく悩み、葛藤してきた。
感受性がしょぼめな奴らへのムカつきから、地球や宇宙に対する価値観や認知が歪み、境界性パーソナリティ障害を発症した。感受性が鋭すぎるだけで、実際に歪んでるのは世間一般だったりするのだが、それについては別の記事でくつろぐとする。
10代の頃は発達障害もただの「個性」で済んでいた部分もあり、発育が達者な人物特有の面白さを遺憾なく発揮し、周りの者どもを笑わせたりして幸せに暮らす瞬間もあったが、社会人になると不適合な部分が目立つようになっぱ
特にコミュニケーションがそうで、学生時代は同年代同士でタメ語を使っていきがっていられたが、社会に出ると苦手な人なんかとも上手く付き合う為のコミュニケーションスキルが求められるがそんなスキルはオレにはなく、生きているのが臭くなって自殺を図ったりした。
その後引きこもりニートになったりし、精神科を10件くらい回ったが、オレが正体を隠して普通を装っていたこともあり、単なる鬱や不安障害としか診断されなかったが、それらはあくまで発達障害による人生のしくじりの結果としての鬱だったり、普通との違いに対する恥の感情や、無理に普通を装おうとする緊張からくる不安だったのだが、当初はオレ自身、発達障害のことなんて全然知らず、カート・コバーンの真似をして自殺することしか考えてなくて治す気もなかったため放置してきた。
ネットでいろいろ調べてるうちに、自分がADHD(とASD)だったと知ったが、ADHDやその周辺疾患に特有の創造性や想像力を活かして窮地を脱したり人を楽しませたりもして来たこともあり、作曲なんかの創作もずっとやって来て、独創的なブログを気に入ってくれた女性に童貞を捨てさせてもらったこともあるオレとしては、ADHDや躁うつの薬を飲む気になれなかった。
生活保護を受給しながら、唯一の武器である創造性を活かして「ハリーポッターと賢者の石」という児童小説を書き、億万長者になって感受性に乏しい鼻毛みたいな人間やスカし野郎を見返してやろうと考えていたオレは、ADHDの薬を飲むとただのつまらない国家公務員のような人間になってしまい、アイデアも浮かばず連載を打ち切らなくてはならなくなりそうだったので薬は飲むまいと考えていた。
しかしやはりADHDを放置していると日常生活を送るにあたって苦痛を伴うことが多く、タバコやカフェイン、酒も辞められず、それらの物質が精神病をさらに悪化させるという悪循環に陥り、ADHDの特性によって思いついたハリーポッターのアイデアであるが、皮肉にもそのADHDの注意散漫特性のせいでカフェで落ち着いて集中して執筆することも出来ない。
歯医者や美容院などのように拘束されて身動き出来ない場面では大声を上げそうになったり動き回りたいのを無理矢理抑えて緊張し、美容師と何かを話さなきゃいけないみたいになって頭の中がざわついて落ち着かず、パニック発作や解離症状が出て頭が真っ白になり、倒れそうになってしまう。(これが一番つらく、治せないなら自殺する)
女を見たりヒールの音を聞くたびにいちいち過剰に反応して発情するのもめんどくさくなってしまったが、これも薬飲んだら少しは和らぐのかもしれない。
どうせ自殺するから薬は飲まないとも考えていたが、なんだかんだと自殺せずに41歳まで生きてしまった。
そんなわけで意地を張って薬を飲まないでいたが、40になった途端に不安症状が悪化したり、年々集中力が無くなっていき聴覚過敏も悪化してしまったため、さすがのオレも観念してちゃんと診断してもらって薬を処方してもらうことにした。
ADHD以外にもいろんな症状が時と場面に応じていろいろ出るが、ほとんどの症状や、生活保護を受けるに至った人生の根本にはADHDがあると考え、ADHDの薬を飲んでつまらないお役所人になろうと思った。
だが今まで通っていた病院に通っていた目的は病気をちゃんと診断してもらって治すことではなく、障害年金を貰うための診断書を書いてもらったり、親に治そうとしてるフリをして見せるのが目的だったため、適当に鬱や不安の症状くらいしか話してなくて、発達障害のことは話してなかった。
かかりつけ医に「ADHDっぽいから薬出してください」と頼んだが処方するには資格が要るらしく、かかり院はその資格を持ってなかったので紹介状を書いてもらい、転院することになった。出来ればおいっぱのデカい看護師さんを紹介してほしかった。
人が苦手すぎるオレは初対面の人と会う際、事前にあれこれと妄想して会話の練習をするのだが、表面的な症状だけ見て薬をホイホイと出すだけの一分診療の馬鹿な精神科を何軒もたらい回しにされたことが過去にあり、もはや精神科などただの薬局くらいにしか考えなくなったオレは会話の練習も期待もせずに転院先へ向かい、ADHDの症状や子供時代の話をしてスクリーニング検査を受けてADHDの診断をしてもらい、ストラテラ(アトモキセチン)を処方してもらった。
しばらく飲んでみて、その結果を記事にしていこうと思う。