今となってはもう昔のことだが、ハリーポッターという名の本と映画が流行っていた時代があった。しかしながら当時の我が輩は童貞を捨てることに必死で映画どころではなかったし、猫ですらなかった。今にして思えば、ハリーポッターを話のネタにして彼女を作るという発想に至らなかったことが不思議でならない。
ハリーポッター全盛の時代、それはブログサービスの黄金時代でもあった。当時はSNSもなく、アフィリエイトブログも今ほど溢れてはいなかった。おかげさまで我が輩もブログで知り合った女性に手ほどきをしてもらうことができた。ネットの世界では童貞のまま30歳を迎えると魔法使いになれるという言い伝えがあったが、我が輩は無事に遊び人から賢者へと成長することが出来た。
なぜ今さらハリーポッターなのかというと、原作者のJ.K.ローリング氏が我が輩と同じように生活保護を受けながら創作活動をしていたという事を知ったからなのである。
生活保護から億万長者へ——そんな魔法のようなことを成し遂げたJ.K.ローリング氏であるが、執筆当時はうつ病になり、自殺も考えたという。我が輩ももうずっと自殺する勇気がないから仕方なく作曲活動をしているがそろそろ限界がきつつある。今もこうやってふざけた文章を書いているが、正直言って我が輩の悪ふざけやユーモアは悲しみやコンプレックス、孤独感を誤魔化すために幼少期に身に付けた、いわば魔法のようなもので、ふざけていないとすぐに自殺したくなってしまうのである。
さて、このハリーポッターであるが、吾輩は彼のことをハターリッポーと呼んだりして、適当、かつ適切に文字をシャッフルして遊んでいる。リハータッポー、ポリーハッター、ターリーポッハ、ポリッタハ――などなど、いろいろとシャッフルしているうちに、この世の全てがどうでもいいような、何とも言えない虚しさを感じてくる。
こういう文字のシャッフルは生活保護を受けながらHunter x Hunterを執筆していた冨樫義博氏なども多用している。
のびーポッ太ーの母に「働きもせずに言葉遊びばっかりして!」と怒鳴られそうだが、我が輩はいつだって真剣だし、それにこれが我が輩の仕事でもあるのだから致し方あるまい。
我が輩の言葉遊び癖は一種の病気で、統合失調症の症状だったりする。
うーん、、飲み過ぎて頭痛い、、はやく死にてえよ、、
と、10年以上前のブログ全盛期の頃からずっと死にたい死にたい言いながら生きてしまった。死ぬ勇気がなかった。死ぬのが怖かった。
ところでこのハッリポーター、実は日本が世界に誇る忍術マンガのNARUTOにそっくりなのである。つまり、魔法の学校があって、先生がいて、クラスメイトがいて、卒業おめでとうと言うまでもなく悪に走った生徒がいて、戦争になり、子供だった主人公が最後は親になるというそっくりな構造になっているのである。ローリング氏がハリーを書いていたのは1995年頃で、ナルトもちょうどそれくらいの時期に連載がはじまった。ひょっとしたら、ローリング氏と岸本氏は伝書フクロウを使って内密に情報交換をしていたのかもしれない。ハリーがメガネをかけていたのはNARUTOとの差別化を図った結果なのだろう。
メガネといえばのび太との関連性を疑わざるを得ないのだが、のび太はメガネをハリーと共有していたにすぎないのに対し、ジョン・レノン氏に至ってはメガネ以前の問題で、ハリーにそっくりなのである。この3人の面倒を見るのは少々手が焼けるため、我が輩はレノンとハリーを完全に同一人物と見なして一人の人物として扱い、のび太は私のかつての戦友であるエモンドラ氏に預けることにした。
偉大なる魔法使いであるエモンドラ氏は英国エジンバラの出身であり、彼に影響を受けた英国人のローリング氏はのちにメガネをかけた魔法使いの物語を描くこととなる。エモンに生活を保護されていたのび太にも強く共感したという。「ハリーポッターと○○○」というタイトルも「のび太と○○○」に対するオマージュなのであろう。
「生活保護とは賢者の石なのです。それは偉大な魔法使いエモンドーラのポケットから突如現れた奇跡の石であり、私にとってかけがえのないポケットマネーでした。」
我が輩もローリング氏目指して頑張ろうと思った次第でR