紀伊の音

ADHDアーティスト紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

精神科の薬に頼らないほうがいい

精神科医による多剤処方がたびたび問題視されている。

私自身いろんな精神科に通ってきたが、ほとんどのクリニックはちょっとだけ話聞いて薬を処方して終わり、みたいな感じだった。かなり副作用や依存性のある薬も特に注意喚起せずにホイホイと処方されてきた。

薬は表面的な症状を無理矢理抑えるだけだったり、デパスなどベンゾジアゼピン系の薬みたいにかえって不安や希死念慮が強くなることもある。

だから薬は他の療法の補助に徹するべきだと思う。心理療法、行動療法、食事療法、運動療法などいろんな治療法があるが個人的な体験として「考え方や認知を変える」系はほとんど無意味だった。なぜかっていうと、何か心を刺激させるような突発的なことが起こった時、まず神経やカラダの反応(魚類・爬虫類)が瞬時に起こって、感情が噴き出して(哺乳類)、それからようやく思考(人間)が続くわけで、私の深刻なまでの悩みはそういう、爬虫類・哺乳類的な激しい感情やカラダの反応(緊張や震え、多動などで、人間以前の部分だから。

言ってみれば認知療法とか行動療法は「人間的療法」と言える。個人には食事とか、アロマとか、運動とか歌とか、スキンシップとか、もっと原始的で動物的なアプローチ、身体や五感に直接働きかけるアプローチを推奨いたします。

 

心と体はセットなのに、心()の、しかも表面的な症状しか見ないダメな精神科がまだまだ多すぎる。調べたところ、日本だけ遅れてるってわけでもなさそうだ。今日の社会にあって、私たちのカラダは置き去りにされちゃってると思うんだ。「死んだ魚の目で満員電車に揺られて」なんて表現をよく見るけど、その死んだ心も実際には「身体(運動・睡眠・発声・感情と表情の表現・性欲)が過度に抑圧される社会で生きている結果」に過ぎないパターンがほとんどだろう。死別とかはともかくとして。

 

(思考、感情)と身体(行動、表情、発声)が解離している統合失調や解離性障害などに至っては、治療の目的そのものが「心と身体をつなげること」なわけで、頭しか見ないならもはや精神科として成り立たないとすら言える。ついでに言うと、医師と薬剤師も統合しちゃっていいんじゃないかな。病院で待たされた後さらに薬局でも待たされるのがたまらなく苦痛だ。医薬分業それ自体、統合失調症のようなもの。

 

神経症状とかも心と体のバランス崩壊から来るものだろうほとんど。当然、外では男性以上に「よそ行き」にならなくてはいけない女性に多い。まあ今は私のような男性のヒステリー患者も多いがね。持って生まれた暴力性や運動性を女性以上に我慢しなくてはいけなかったりするから今の世は。ありのままの感情と表情で、思ってることを歌に乗せて大声で歌うと良い。身体も動かしまくろう。私のポエムみたいに、比喩表現しまくるのは推奨されない。思ってることを直接的な言葉でストレートに吐き出そう。

 

統合失調やPTSD、解離など、身体がフリーズしちゃってる症状がある人には座禅や瞑想は向かない。瞑想って聞くと健康的で崇高なイメージがあるけど、人によっては悪影響。ただでさえ体面を重んじる日本社会や現代のネット社会では多くの人々が統合失調的になってるのに、深い瞑想なんかしちゃうと現実に対処出来なくなってしまう。あれが向くのは多動と不注意の症状くらい。たいていの精神疾患は心と身体のアンバランスさ、リンクしてなさからくるものだから精神疾患と瞑想は相性が良さそうで実際にはかなり悪い。体を動かすこと、泣いたり笑ったりすること、大声で直接想いを口に出すことが重要で、こういうブログみたいに文で吐き出すのはそれに比べると効果は弱い。人間は本来、テキストではなく表情、実際の会話、身振り、スキンシップでコミュニケーションを取る生き物。よく「心の時代」なんて言われてるけどそうじゃない。心以前にカラダが置き去りにされてるんだ。

 

結局、全ての精神症状はお互いに影響し合ってて単発の病気なんてまずあり得なくて何らかの精神的・身体的疾患を伴うものだし、心と体も影響し合ってるので、精神科で働く医師も看護師も、患者の方々も、こういうことを念頭においた上で日々業務に臨んでいただきたい。

©Hiro Kinohara
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