紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

人生の勝者とは、とことん真理を追求し、正直でいる人のことなんだろう

 

 
勝者、敗者、勝ち組、負け君、、何をもって決定されるのだろう。

勝者ってなんだろう。収入や高学歴のことなのか、ルックスのいい人なのか、夢や目標をあきらめない人なのか、欲望に打ち勝つ人なのか、フォロワーが100万人いる人なのか。

価値観なんて人それぞれだけど、個人的には上のどれも勝者とは思えない。どれだけ金を稼ごうが、有名になろうが、毎日欠かさず筋トレをして体を鍛えようが、禁欲的に生きようが、勝者だとは思わない。何かが不足していると思う。それは正直であるということ。

やっぱり自分にも他人にも正直でいられるかってのが鍵なんだと思う。そしてそれは結果的に上にあげたような、世間一般でいうところの勝ち組になることにもつながっていくこともあるだろう。

決して正直者=社会的勝者とかってわけでもなく、正直すぎて逆に一般社会から脱落したり、犯罪者になることだってあるかもしれない。資本主義的視点から見れば、嘘つきや見栄っ張りの方が勝者だったりする。

この世は、今の資本主義ベースの世の中でなくとも、社会なんて原始的な時代からすでに嘘や偽善で溢れていたわけで、社会の基礎である家族という組織の中でさえ嘘で溢れている。そんな中にあって正直で居続けるということ、これほどまでの勝利はちょっとほかに類を見ないだろう。

人間は誰でも自分の個人的な事情(体験、見た目、人種、性格や性癖など)を元にして、後付け設定の真実や真理、理屈、言い訳を作り出していくもの。そして時にはそれを信じきったり盲信したりして盲目になり、真理から遠ざかっていく。

一見すると正直で本音でいるように見せておいて(自分でも意識的には正直であると信じてる)、本当に本当の部分、自分の心のいちばん根っこの部分と向き合うことを放棄している人間が多い。いや、もうほとんど全員といってもいいくらいだろう。おれ自身もまた然り

イエス・キリストとか、ガンジーみたいな人たちですら少しはそういう所、要は見栄っ張りで嘘つきなところはあっただろう。そうじゃなかったらそもそも人間ですらない。これほどまでに、とにかく人間は嘘を吐かずにはいられない生き物だ。
だからこそ、本当の本当に正直でいるっていう、ほとんど不可能なことを、出来る限り達成できた人間こそが人生の勝者だと思うのであります。

「正直に自分と向き合う」っていうと、普通は自己との対話とか、とにかく「自分」を主体として捉えるのが一般的で、啓発本とかも大抵はそんな感じで、それはもちろん間違いではないんだけど、ついつい「他人」の存在がおろそかにされがちだったりする。

結局、「自分」ってのは社会の中で、人との関わりの中で形成されていく物だし、まったくの他人以前に、両親という「他人」が居てこその自分という存在。「他人は自分の鏡写し」なんてこともよく言われる。その逆もまた然り。

そう、だから自分に正直に向き合う為には、他人の人格や価値観、意見、事情とかに対しても正直に向き合う必要が出てくる。いったん自分自身の心の浅い部分にある、"後付け設定の" 価値観とか、感情とかを無視して素通りして、自分の心の奥深くを感じ、さらにその部分を通して他人の心の奥深くまで覗き込み、向き合い、共鳴し、自分の感情として感じる必要がある。

自分の心を形作った、他人の存在を感じる。そしてその存在と正直に向き合う。これってものすごく重くのしかかる作業だし、場合によっては自分が崩壊し、発狂しかねない。常に他人の感情や意志を汲み取ってそれらと向き合って生きるなんて、この目まぐるしい世の中ではまず不可能だ。

だからおれたちは自分から目を背けたり、自分の中から他人を排除しようとする。「自分は自分、他人は他人、他人なんかに構ってられない」と。
 
そして、社会的な「勝者」になる為に他人を無視して自分の仕事に集中したり、自分のあらゆる欲求を満たすために奔走する。

そうでもしないとやってられないし、身が持たない。おれだって例外ではない。記事のコメントだってもちろんいちいち一つ一つ丁寧に返信なんて出来ない。

ただ、そうやって排除しても、やっぱり自分の中には常に他人がいる。「自分軸」といえば聞こえはいいが、そもそも自分の軸、核の半分近くは他人だったりする。行動理念や行動の動機なんかにしても、他人の存在なくしては成り立たないものがほとんどだろう。食欲と休眠欲求などはともかくとして。それらと同列に語られる性欲さえもが、他人(異性)の存在ありきの欲求だ。

だから結局はいくら他人を排除して思考したりしても、それは嘘になりがちだ。

そういうわけで、真理とかっていうのは自分と、(自分を形作る)他人の、両方の感情、価値観、思考、人格などあらゆるものをミックスして、とことん苦悩して探求していくものだと思う。

こう考えると、たとえば他人の意見をよく吟味もせずにバッサリと切り捨てたり批判して、"自分を持っている意志の強い人間"ぶったりして、自分の人生をかっこよくまっすぐに生きているつもりの人間がいるとして、そしてその人間がある種の成功を収めたとしても、それを勝者だとは思わない。

金持ちも有名人も、誰一人として勝者だとは思わない。敗者でもないけど、勝者とは思わない。嘘と偽善の上に成り立っている資本主義社会でどれだけ成功しようが、けっして勝者ではないと思う。

別に金持ちになる為に他人を蹴落としたり嘘をついたり競争しなくたって、資本主義的な成功を収めることはできる。正直であることは信頼を生み、人間関係や築く円滑油になり得る。

正直でいれば、見た目ももそこそこ良くなる。感情を正直に表情に出すことで顔つきが良くなるし、カッコいい服も変に飾らずに着れるかもしれない。正直でいれば高級ブランドのショップに入っても後ろめたさを感じないだろう。

「この世は楽しんだ者勝ち」なんてこともよく聞く言葉だけど、正直にならずに自分や他人を欺いていては人生楽しめないだろう。このおれのように。

このように、正直であることは、結局は世間一般でいう「勝ち組」にもつながっていく。ただし、本当の勝ち組は自分にも他人にも正直である人だと思う。それは単に他人に嘘をつかないってだけの話ではなく、私情を捨てて他人の感情や価値観などと真剣に向き合うってこと。有名人だとか社長だとかセレブだとかでも、それがちゃんと出来てる人間ははっきりいって一人もいないだろう。
自分にも他人にも正直で、真理をとことん追求する人こそが本当の意味での人生の勝利者なんだと思います。
 
画像: pixabay.com
©Hiro Kinohara
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