紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

やはり双極性や境界性パーソナリティの人はうつ病の薬を飲むべきではなかった

 

おれは20代前半くらいで双極性障害(躁うつ)を発症して、境界性パーソナリティ障害も併発していた。境界性のほうは歳とともにだいぶ改善してきた。

今まで色んな薬を飲んで来たけど、抗うつ剤を飲むことが多かったし、今も飲んでる。

なぜ抗うつ剤なのかっていうと、鬱の症状が一番しんどいし、躁状態に関しては他人に迷惑をかけちゃったり(チャットを送りまくったり、路上でズボン降ろしたりしてしまう)、後悔する行動をしがちなんだけど、その代わりすごいクリエイティブにもなれて、こういうブログ記事なんかも勢いでたくさん書き上げちゃったり出来るから。

覚せい剤要らずな感じになる。覚せい剤と同じで、未来から元気を前借りしたり、マンガみたいに、寿命を縮ませる代わりにパワーアップする感じで、その時だけは気分がいいから。

ただ、やっぱり後悔することが多い。攻撃的になってネットで強気な言動をしちゃったり。そして罪悪感と恥ずかしさから鬱になってしまう。冷静なときはすごい生真面目で繊細で周りにも気配って知性も豊かなのに、一気に台無しにしてしまう。

それでも重い鬱状態は改善されるから、ついつい飲んでしまう。おれの場合は、昼間なんかはそんなに攻撃的・衝動的になったりせず、カラダが少し軽くなってネガティヴ思考も減って仕事や家事のやる気がそこそこ上がるから抗うつ薬でちょうどいい感じなんだけど、一日3錠飲んじゃうとかなり好戦的な感じになってしまう。誰でも車運転するときとか、酒飲むと持って生まれた暴力性が表沙汰になるが、そんなふうに抗うつ剤も人によってはかなり攻撃性や猜疑心、被害妄想などがかえって増したりする。

朝に1錠飲むくらいなら大丈夫っぽくて、被害妄想も何も飲まない時より改善されて穏やかになる。

リチウム塩などの躁うつ病の薬も処方されたんだけど、おれはずっと創造性を売りにして生きて来たので、それが失われそうで怖かった。ADHDの薬も同じ理由で飲んでない。そもそもあんまり「安定」したいとも思わなかったし、今でもそう。安定するなら子供のうちにそうしておくべきだった。そうすれば作曲活動もデザインもブログすらも書かずに淡々と普通に生きていたんだろう。

実際、ADHDを薬で落ち着かせた人が、「落ち着く前のハッチャケてた時代のほうがよかったかもしれない。気分がフラットになりすぎて、つまらない人間になってしまった」と言っていたりするケースもある。薬を飲むことは全然否定しない。
 
ADHDなんて、いろいろ大人しくせざるを得ない今のネット社会ではデメリットしかほとんどないのでね。ただ、作曲能力とかを失ったらおれはただの棒みたいな人間になってしまうのでそれが怖いし、発達障害も単なる馬鹿なダメ人間ではないと証明したいっていう強い想いもある。小学生に戻れるなら絶対薬飲む。でももう今さらだ。

正直薬というものをナメていた。薬っていうと、毒薬はともかくとして、効果の弱い市販薬のイメージしかほとんどなかったからナメてた。最近ワクチン打ったけど、頭痛、筋肉と関節の痛み、気だるさの副作用(正常な副作用) 出たけど、あんな少量の液体でこんなにもカラダに影響するんだからほんとに慎重に扱わないといけない。場合によっては人生左右される。

何はともあれ、双極性障害とか、境界性パーソナリティ障害とか、反社会性パーソナリティとか、自己愛性パーソナリティとかの人に抗うつ薬を処方すべきではない。特に鬱の症状で来院した躁うつ病患者とか境界性患者は抗うつ薬を処方されやすいから注意が必要だ。冗談抜きに、ちゃんと躁状態や衝動性のことを話したにもかかわらず抗うつ系の薬を処方された場合、業務過失で訴える権利があると言っても過言ではない。それくらい、性格そのものが変わってしまう。

おそろしいのは、自分でもそれが本来の性格なんだと錯覚してしまうところ。性格もしょせんは脳つまり物質なわけだから、脳や血液に流れる物質が変われば性格も変わるのだから。

脳と物質と人格の関係には興味が尽きない。これからもっと解明されていって、精神障害の大部分は、今でいうただの風邪くらいの物になっていくのだろう。ああ、おれの苦悩はいったい何だったんだ…
©Hiro Kinohara
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