なぜ考えるのかっていうと、どのブログ系サービス使ったらいいのか分かんないし、複数使って連携したりするのがめんどくさいから。
確かにnoteは画期的といいますか、時代の節目に自然と現れた、いわば災害のような物だと思います。何が災害マンなのか。それはnoteが登場するまで誰もnoteのようなサービスを作らなかったこと。iPhone登場前後のガラケーのような物(あれはあれで良かったが…)
他のブログサービスはまず気持ち悪くて時代遅れでダサい広告(ポスト資本主義社会ではもうくだらなくて胡散臭い広告を作る必要がなくなる。というよりそういう社会にすべきだ)を控えめにしてnoteに追いつこう。
noteはnoteで広告付けないと採算が取れない(たかだかコメント非表示にする機能で有料化してるくらい)のを認めてひっそりと広告を付けて、コメントや通報機能およびそれらを営なむ人材費を稼ごう。
noteはブログ記事が有料っていう所が画期的だったと言われるが、正確には「記事に経済的価値を与えた」っていうことなんだと思います。
有料記事はむしろナンセンスというか不完全で、読み手の視点から見ると、検索してたどりついた記事が「ここからは有料です」みたいになってると「チッ」っと舌打ちしてしまう。
投げ銭とか、そういう寄付機能だけで十分だったんです。この世の全てのブログ系サービスはああいう機能をデフォルトで付けるべきなんです。有料化しなくても、価値のある記事には必ず寄付する人はいますから。たくさん。貧乏な俺でもときどき寄付してきたのでね。へへへ…
たいていのブログ記事はSEOを気にしすぎて無駄が多い。私なんかADHDですから、すごい長くなっちゃうし、読みづらいですよね…すみません。。(実際は読みやすくて簡潔な文章も書けるがそれだとキャラ立たないのでね)
だから前置きなんかすっ飛ばして、いきなり論結を書いて、後から少しばかり言い訳をしたらいいのです。
だが実際のところSEO業界では「網羅性」つまりSEOに関する記事を書く場合、冒頭にいちいち「まず、SEOとは何か」みたいな誰でもわかってることまで書くことが推奨されている。これに関しては検索エンジン側に問題がある。そういうくだらない前置きがなくても大丈夫なようにチューンナップする必要があるので俺はGoogleにフィードバックを送った。むしろ分かりきったことまで書き連ねて文字数稼いでるようなサイトは評価を下げてほしいくらいだ。
「こんにちは!みなさんは○○してますか?」みたいな書き出しの記事を見ると思いっきりぶん殴りたくなる。
読み手視点で書いてないんです。ビジネス調というか、学校や会社に「こう書きなさい」みたいなのに則って書いちゃってるんですよね。「実際に雇われてライティング業やってるんだから仕方ない」と言う人もいるだろうが、それは雇う側が馬鹿なんです。雇う場合でもTwitterの投稿の依頼だったら当然「シンプルに要点だけ書いてください」ってなります。もし「ブログとかネット記事 = Twitterよりほんのちょっとだけ長いもの」っていう風に価値観や概念が変われば、ブログ記事作成の依頼も「極力シンプルに」ってなるわけであります。そう考えると文字数単位の歩合制でライターを雇うのはかなりのクズ、畜生だということになります。学校の教育自体が完全に時代遅れなんです。
「でもテメェみてぇにダラダラと長文になる奴もいるじゃねえか、ぶっ○すぞ」と言う旦那もいるかもしれない。しかしですねえ旦那、私はワザと焦らしながら、ワザとふざけたフリをしてるだけなんスよ。分かりますかな??
この記事も情報系だから簡潔にすべきだった。しくじったわい。俺は「言葉遊びを多用した、脱線だらけの変な文章」を売りにしちゃってる所があるからついついこんな長文シンドロームになってしまう。長文で書く時と簡潔に書く時の分別をつけねばなるまい。
長い奴もいれば短い奴もいる。だからといってつぶやき機能を付けるのは人として間違ってる、とあなたは言いたい。俺は「あ、、じゃあ俺も…」と言う。
ではTwitterはどうかというと、短すぎる。ダメだ。腐ってる。結局他のサイトに誘導するハメになる。そもそも、なんでnoteもやってタイッツーもやらなくてはいけないのか。それが当たり前みたいになってるけど、その仕組み自体が時代遅れだし不完全だと思うんです。と思いきやTwitterはいまさら長文機能を導入しはじめたらしい。noteとTwitterのユーザー層はけっこう被ってそうだからnoteユーザー少し減るかもしれんね。
いくら長文機能を導入したところでTwitterはあくまでも捌け口アプリのTwitter。炎上したり、中傷コメントもつきやすい。コメント機能もオフに出来ない (noteもコメントオフは有料) 。毛嫌いしたり怖いと思ってる人も多いだろう。だからnoteはともかくWordPressの代わりになんてならない。
そういう意味ではFacebookは悪くはなかったが、アレは「足しただけ」だった。機能もごちゃごちゃして、掲示板(グループ)機能まで付けてしもうた。記事のコメント蘭が既に掲示板のような物ですから、必要なかったんです。つぶやき機能まで付けたりして自滅してしまった。
フォロー機能もいらないよね。ほとんど宣伝目的に足跡つけてるだけだし。フォロワーを意識して自由に投稿できなくなっちゃう。ほんとに気に入ってくれた人はブラウザでブックマークしたりするから要らないんですよ。
タイムラインなんてほとんど誰も(ちゃんと)見ちゃいない。そう、ブックマーク機能だけで良い。相手には通知されなくていい。いいねとかスキもいらない。noteのスキも実際にはほとんどがちゃんと読んでないわけで。
でも承認欲求満たしたい。レスポンスがないとモチベーション続かない。とアイザック・ニュートンは言う。しかしながらアナリティクス・シンドロームがあるわけです。シンプルで可愛らしく、見やすくて楽しい、笑顔の絶えない、そういうアナリティクス分析機能があれば十分なんです。ちゃんとリピートして読んでくれる人がいるってことが分かれば事件を起こさずに済むんです。一万人、たった一万人の人が記事を読んでひっそりと励ましてくれるだけで、人は救われるのです…うう…ありがとう…ありがとう…
というわけで、noteやTwitterやブログに取って代わる、シンプルで使いやすくて無料で広告もベタベタ付かなくて安心して使えるテキスト系の情報発信プラットフォームを待ち望んでいる次第であります