紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

金は時なり

noteのお題「お金について考えていること」に応募した記事

いつのまにか当たり前になっていた、お金を中心に回る世界。


いつからだろう… 産業革命、資本主義の台頭、そのもっと昔から流通し、私たちの生活に欠かせなくなったお金。

元々、必要な物資や食料を買ったり、仕事やサービスへの対価として支払う為のものだったお金。

いまでは私たちの日常会話においても、お金の話は欠かせないものとなっている。「景気はどう?」なんて挨拶から話し始めることだってある。

将来、お金を稼ぐ為の仕事に就く為に、子供たちは学校へ通う。

大人たちはお金を稼ぐ為に仕事へ行く。

収入は結婚相手を選ぶ一つの指標にさえなっている。

お金を稼ぐ為のノウハウを売って、お金を稼ぐ人もいる。

もしも突然お金の価値や、お金自体が無くなったらどうなるだろう。

一瞬、時が止まる。

会話は止まり、目的も見失う。

どこへ行こう?

何をしよう?

何に投資しよう?

何のために生きたらいいんだ?

お金は私たちの生きる世界を回す歯車。

歯車が止まれば、時間も止まる。
 

金は時なり
 

時が止まって、私たちは気づくのだろう。

投資して、市場に追われて、失ったもの。

健康や人間関係。そして、時間。

時は金なり、時間はお金で買えない、時間がほしい、休みたいと言いながら、あくせく働いてきた私たち。

生きる為の仕事が原因で、心身の健康を損ねたり、過労死してしまうことさえある。

お金の価値が無くなって、時が止まっても、ある人はこう言うかもしれない。

「お金がほしい。働きたい。生きる為じゃない、生きる意味を持つ為に。
 

—あとがき—
現代の資本主義社会に対する適応性に欠け、仕事でうつ病を発症することもあった俺はカネのことなんて正直考えたくなかった

そこで、「もしもお金が存在しなかったら」という、詩的かつSF的な記事を書くに至った。

SF的な内容ではあるものの、機械やAIによる自動化が進み、さらにベーシックインカムの導入もちらほらと話題になり、「働き方改革」「こころの時代」なんていう言葉もある今の時代、お金が無くなるとまでは言わずとも、その価値が下がって、新たな価値軸が生まれてくることは現実的に考えられることだと思う。(すでに生まれつつある)
 
俺は読者の方々に問いたい。

「お金やその価値が無くなったら、何に投資しますか? 健康? 人間関係? 愛? 寿命? 趣味?」

いま一度、お金の価値について考えてみようではありませんか。(働きたくないんだわ)
 
 
©Hiro Kinohara
著作権について  プライバシーポリシー