紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

完全に忘れ去られる人間なんていないのかもしれない

画像:unsplash.com

おれはここ数年何かを残したくて音楽配信したり本を書こうとしたり躍起になっていたが、そんなことしなくても永遠に生きられるのかもしれない。

人は何かを残そうとする本能があって、子孫を残したり若い世代に何かを伝授しようとしたり、本や芸術作品を残してきた。
 
そういうのを残せない人間は心が腐って自暴自棄になって何かを残せる人間を僻んだり、事件を起こすことで記録や人の記憶に残そうとしてきた。
 
だが別に歴史に名を残そうとしたり、残せなくて腐る必要なんてなかったのかもしれない。特別なことをしなくても、その時代に生きた者として歴史の中でしっかりとエクストラ出演が出来るから。
 
歴史系の本とか映画、番組で取り上げられるのは何も偉業を成し遂げた人物のことだけじゃなくて、その時代はどういう時代で、どういう人間がどういう生活をしてて、みたいに時代の背景や全体、ごく一般人の生活にフォーカスされることもよくある。
 
特に歴史モノのコンテンツじゃなくても、江戸時代の浮世絵にはその時代の一般人が描かれてるし、21世紀に書かれたリアル系のマンガや小説には21世紀の一般人が登場する。
 
おれみたいに想像力が無駄に強い人間がそういうのを見たり空想の中で過去の時代に没入してると、その時代のごく一般人とか、ならず者とか、そういう偉人でもなんでもない、"何も残せなかった"人々に出会う。結局、彼 / 彼女らは21世紀にオレの心の中で生きているってことになる。時代の一部として。
 
だから何も残せなくても未来の世界でもちゃんと生きられるし、オレも必死になって何かを残そうとせずに普通に何も考えずにヨダレ垂らしながらエヘ・・へヘヘへ・・・エヘヘへ・・みたいに気楽にテキトーに生きてもいいのかもしれない。
 
超越的で宗教的な考えだけど宗教イコール悪ってわけでもないし、偉人になれなかったからって腐ってる人々はこういう考え方を取り入れてみてはどうか。
 
未来の世界で、ただの一般人でしかない自分のことを思い出してもらえるのってちょっと素敵だし、ニヤニヤしちゃうよ。
©Hiro Kinohara
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