紀伊の音

ADHDアーティスト紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

自信なんて持たなくていい。後ろめたく前向きに生きよう。


人が何か意見とかを言うとき、無意識に自分の存在を肯定した上での発言しがちだ。それは完全に間違ってて、自分を否定して、どうすれば自分が今ある形で存在しなくて済んだのかっていう態度で物事を考えたり、発言する必要がある。

そもそも、自信に満ちた人間が大っ嫌いなんだな。話しかけづらいし、周りへの気使いに欠ける奴が多いし。おれはいつも洞察力がありそうな不安げな顔をしながらヘロヘロしてるからいろんな人間が話しかけてくれるんだけど、けっこうウザいんだよね。

ポジティブシンキングもいいけど、なるべく自己否定して後ろめたく、それでいながら卑下しすぎず半分諦めて生きよう。世の中には自己実現とか、スピリチュアルとか、色んなポジティブ思考のトレーニング方法があるんだけど、ダメなんだよ、自信持っちゃダメなんだ。ポジすぎると、気付かずに周りにネガな影響を与えるからダメなんだ。

おれたちはこの、無慈悲な食物連鎖の世界に生きる動物ってだけで既に罪深き悪徳商法な存在なわけで、卑屈に、自信無さげに、後ろめたく生きる。常に自分と自分を形作る世の中を疑い、後ろめたく発言することが大事なんだと思います。人間はまだ未完成なのだから。未完成なのに自信を持つのは虚しく、恥ずかしく、切なく、そして悲しいこと。要するにただの馬鹿だ。

とにかく自分は間違った存在なんだと、自分が今こういう形で存在しないためにはどうすれば良いんだと考える。もちろん子供たちにも後ろめたく知識を伝達すればいい。自信を持ったらダメだよ。自己矛盾に怒り狂うハメになる。自信なんていらなかったんだ。後ろめたく、発言する。

かといって、「どうせおれの意見なんて」と黙ったり、余計な謙遜言葉を加えるのもダメで、一応は発言するっていうのがポイントで、一応は自信無さげにキッパリと自分の考えを後ろめたく発言しておく、ということだよ、自分の言葉でな。
 
人の真似して、謙遜するフリして「言ってみた」っていうのはゴミなんだよね、自己主張して褒められて認めてもらいたくてたまらないのにワザと謙遜する振りするのはダメなんだわ。おれはブログとかのタイトルが人真似のベタなタイトルだったら読まない。内容もつまらなそうだ。「なんとかの僕がなんとかだった5つの理由」「なんとかだった件」「なんとかだった話」みたいなのもそうだよな。もっとこう、「言ったので認めて褒めてくれ!頼む!!後ろめたく褒めてください!!!」これで良好なんです。おれなんて女性に褒められるだけの為にいつまでも自殺せずに作品を作り続けてるわけで。人の真似して「てみた」を使うくらいなら何一つとして主張しなくていい。自己主張したければ、後ろめたく、自分の言葉で正直に発言して、恥じること。これです。
 
要は自信を持つのではなく、必要以上に自己卑下しないってことなんです。がちがちのポジティブシンキングなんて自分も周りも疲れるだけのゴミなのだから

自信ある雰囲気の人はただの酔っぱらいでしかない。つまり、この世の全ての取締役会はただの酔っぱらいの同窓会でしかなかったんだなあっていうことなんです。

情熱的に、自分らしく、後ろめたくあれ!
...…と、こんなセリフにしても自信なんて持てないに決まってるんですよ。。なぜなら私は間違った存在なのですから。。
©Hiro Kinohara
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