紀伊の音

ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ

もう「てみた」なんて使わなくていいんだよ

「てみた」飽きた

オレは最近やたらと流行ってる「てみた」って言葉が好きじゃない。

自分の意見も本音も言えない、性悪説で抑圧的な日本社会の風習が如実に表れてる「てみた」とかいう言葉。ブログにキャラクターと吹き出し付けて自分の意見を自分で言わずにキャラクターに喋らせるのもそう。

英語が書かれたTシャツ着たり、商品名を英語にしたり、表面な部分だけ欧米化して、文化面では圧倒的に時代遅れな日本社会。

「てみた」って言葉は、敬語に対する反発・いきがりの要素がある一方、なんだかんだと昭和臭くて古臭い風習に従っちゃってる。

一応は若者のネットカルチャーから発生した単語なんだけど、かなり加齢臭のする文化でもある。

まー最近の若い衆は「悟り世代」なんて言われてもするからこういうジジ臭い風習に従った言葉が流行るのも無理もないのかもしれない。ちなみに機能不全家庭育ちで発達障害のオレは悟り世代じゃないのに精神的には悟り世代で、9才の時にすでに人生悟っていた。

もう「てみた」が流行りだして5年くらい経つし、そろそろ死語になっちゃっていいんじゃないか?

それにしても日本人ってのはほんと人真似が好きっていうか、洗脳されるのが好きっていうか、無個性な奴が多いよなー。どこの社会もそうなんだろうけど、日本とか韓国は酷すぎる。同調圧力っていうのかな?ユーチューバーや芸人も普通のつまらない奴が多いし、動画の作り方も人真似した動画ばっかでつまらん

Google検索するとき、「-てみた」を加えると記事が半分以下になる。

あと「〜した話」とか「〜だった僕が〜した理由」みたいなのも嫌い。

noteは書き手のことをクリエイターと呼んでいるが、そのnoteの記事「てみた」だらけで全然クリエイティブじゃない。

ブログや記事を書く人間は頼むから自分の言葉を使って愉快で独創的な記事を書いてくれ。みんなが同じ言葉使ってると不快でしかないのでね。

よろしくー

©Hiro Kinohara
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